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2006年11月13日(月) はらたいらさんの訃報

先日のはらたいらさんの訃報には驚いた。そんな年ではないだろうと思ったし、実際六十三歳での死は早すぎだ。
有名な人が亡くなると私はいつも、その人が一番活躍していた頃、自分がどんなふうに過ごしていたかを思い出す。私にとってはらさんといえば『クイズダービー』。私はこの番組とドンピシャの世代で、土曜の夜は七時から『まんが日本昔話』、チャンネルはそのままで『クイズダービー』、つづけて『8時だョ!全員集合』を見る、というのが小学生の頃の常だった。

それを見ていたのは二十年以上も前のことなのに、番組のディテールまで記憶している。鳩の大群が飛び立つスポンサーのロート製薬のCF、「巨泉のクイズダービー!」の掛け声につづくバッコン!という競馬のゲートが開く音、それぞれの枠の歴代解答者まで覚えているくらいだから相当のものではないだろうか。
……と思ったらそれは私だけではないようで、mixiでこの話をしたところ、「クイズダービーのことならまかせて!」というマイミクさんが何人もいらした。とくに印象に残っているのはやはりはらさんの驚異的な知識量で、
「子ども心に『全問はらたいらに賭ければいいじゃん』と思っていた」
「今回のことで初めて漫画家と知った。クイズが得意なタレントだと思っていた」
という声が挙がった。
私も当時、「この人はどうしてこんなになんでも知っているの?」と母に訊いたことがある。そうしたら、「漫画家だからよ」という答え。子どもの私は「そうか、漫画家というのは頭がいいのか」と思い込み、いまだに「漫画家=博識」というイメージが消えない。
ニュースによると、「当時、漫画家の地位は低く、はらさんは『自分の正解率が低かったら、やっぱり漫画家はこんな程度だと思われてしまう』と新聞や雑誌で勉強を欠かさなかった」そうだ。「三択の女王」こと竹下景子さんもはらさんの答えをときどき盗み見していたというから笑ってしまう。
「テレビ放送が始まった頃のエピソード。撮影で雪が必要になったものの、冬とはいえスタジオ周辺にはありません。そこで悩んだディレクターは都内のある場所に出かけ、雪を調達したのですが、それはいったいどこでしょう?」
という問題がさっぱりわからなかった竹下さんは、はらさんが「上野」と書いたのを見て「上野動物園」と推測した。しかし、はらさんはその後に「駅」とつづけていた。もちろん正解は「上野駅」(北国から走ってきた夜行列車の屋根に積もった雪を調達)で、竹下さんは司会の大橋巨泉さんに「動物園でどうやって調達するんです?白クマのところから持ってくるとか考えたんでしょう」と突っ込まれ、カンニングは大失敗に終わったそうな。

「はらたいらさんに3000点!」というフレーズはあまりにも有名だが、竹下景子さんに賭けるときはなぜかどの参加者も「いつ見ても素敵な竹下さんに1000点」とか「息子の嫁に来てほしい竹下さんに1500点」とかいう具合にひと工夫していたっけ。巨泉さんの、
「ひとりを除いてみ〜んな同じ答え」
「倍率ドン!さらに倍!!」
も懐かしい。いま思えばずいぶん地味で、子どもが見て喜ぶような番組ではなかったのに不思議なものだ。


夫はテレビで川島なお美さんを見ると必ず、「あっ、お笑いマンガ道場……」とつぶやく。私の「はらたいら=クイズダービー」並みに強烈に「川島なお美=お笑いマンガ道場」という公式が刷り込まれているらしく、口走らずにはいられないみたいだ。
私はその番組を見たことがないので「フーン」てなものだが、『クイズダービー』を知らない人にとっては今日の日記がまさにそうだったろうな。
……とは思ったのだけれど、はらさんの訃報を聞いていかりや長介さんが亡くなったときと同じさみしさを感じたものだから、つい書いてしまった。
うちのサイトは読み手の年齢層が高めだから、今日の話についてきてくれた方もけっこういらした……と期待しよう。