過去ログ一覧前回次回


2006年05月12日(金) 話は最後まで聞いて。

先日、上京して表参道ヒルズに行ったときのこと。
人波に押されながら館内をぐるっと一周し、吐き出されるようにおもてに出たところ。目の前の表参道に大きなトラックが信号待ちで止まっていたのであるが、その荷台を見てびっくり。巨大な亀が載っていたのだ。

「ガメラや、ガメラ!」
慌てて友人に教える。ガメラかどうかは知らない。けれど巨大亀といえばそれしか浮かばないのだ。全長六、七メートルありそうな、まさに怪物の大きさである。
でもどうしてこんなところに?
すると、友人が驚いた様子もなく言った。
「これ、映画の宣伝。公開前にガメラ載せて全国回るってこないだテレビで言ってたよ」
まああ、ほんとにガメラだったのね。
なるほど、走り去るトラックの後ろ姿に「とらわれたガメラ」という文字。落ちないようロープを何重にもかけられた姿がその文句にぴったりだ。

それにしてもすごい偶然だ。「小さき勇者たち〜ガメラ〜」の公式サイトによると、ガメラ・トレーラー(というそうだ)が都内を走行したのは二日間だけ。建物から出てくるのが三十秒遅かったら、私はガメラのしっぽさえ見られなかったはずである。
幼稚園くらいの頃、テレビでガメラをやっていた。とくに熱心に見ていたわけではないけれど、懐かしくてちょっぴり興奮してしまった。

* * * * *

……という話を、私はしたかったのだ。
しかし同僚は、「こないだ表参道ヒルズに行ってきてん。そしたらね」まで聞くと、こう叫んだ。
「表参道ヒルズ?私も行った行った〜、オープン直後やったからすっごい人でさ、ほとんどなんも見られんかったけど。でもナントカってお笑い芸人が来てたわ、えーと、テレビでときどき見る……あー、ド忘れした」
やがて名前を思い出すのをあきらめると、彼女は「お笑いといえば、『爆笑オンエアバトル』見てる?」とつづけた。
私は「そんな番組知らない」と答え、ガメラのガの字も発することのないまま、昼休みを終えた。

こういうタイプの人はときどきいる。こういう人、とは人の話に早々に反応して自分の話に持っていく人のこと。相手の話を広げるのではなく、話題ごとさらっていってしまうのだ。
彼らに奪われたマイクが私の元に戻ってくることはまずない。それについて話し終えると、次の話をはじめてしまうからだ。
これをやられるたび、私は萎える。親しい友人であれば「ちょっと、人の話を聞きなさいよ」とマイクを奪い返すこともあるが、たいていは「もういいや」と思う。話が終わるのを待って、自分から「……で、さっきの話の続きだけどね」とやる気にはとてもなれない。
しない人は一度もしないが、する人は繰り返しする。悪気がないのはわかっているが、「私はあなたの話題提供者じゃないわよ」と言いたくなることがある。

相手の話をきちんと聞かない人と話をすると、非常にストレスがたまる。
話を遮られる以外にも私がむっとくるのは、上の空で聞いているのがわかるときだ。自分の興味のない話題だとそれがあからさまになる人がたまにいる。
なにも身を乗り出して聞く必要はないけれど、相手に「心ここにあらず」を悟らせない程度の態度で聞けないものかね、と思う。
このあいだ、夫に話しかけたら相槌がかなりいい加減だったので途中で話をやめてみたところ、案の定続きを促されることはなかった。
なんだ、やっぱり聞いてなかったのか。私はかなりがっかりした。


その点、「書く」はいい。
いつもここに書いているような話を誰かに話して聞かせようとすると、なかなか大変かもしれない。合いの手によってつい話が脱線してしまう……というのも「会話」の面白みではあるのだが、着地点まで一気に話し通せることに私が快感を感じるのもたしかなのだ。
話途中で「あ、それ、私もさー」とやられる心配がないし、「私ばっかりしゃべったら悪いかな」「ちゃんと聞いてくれてるのかしら」と相手の反応が気になることもない。私は自分が日記書きをこんなに好きなのは、「言いたいことを確実に最後までしゃべらせてもらえること」によるところも小さくないと思っているくらいである。

ところで、一口に「日記」と言ってもいろいろで、「あれも言いたい、これも言いたい」でどうしても長文になってしまうという書き手もいれば、的を絞って毎回すっきり簡潔にまとめている書き手もいる。
たとえば後者のような人が、実物はものすごいおしゃべり、というようなことはあるんだろうか。淡々とした文章を書く人はやっぱり中身も淡々としているような気がするけれど……。
えー、もちろん私は話し好きです。