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2006年03月01日(水) 固いんです。

遅ればせながらトリノの話題であるが、いやあ、女子フィギュアスケートの戦いはすばらしかったですね。もちろん私も朝の四時に目覚ましをかけて見たクチです。
うまいだけでは勝てない。スポーツでありながら高い芸術性が求められる。優雅な舞にすっかり見惚れてしまった。

それにしても、あの体の柔らかさはどうだろう。村主選手が体が固いと言われているのだから、ひえーという感じ。
たしかに荒川選手のイナバウアーのしなやかさ、Y字スパイラルの美しさはため息ものだし、ビールマンをするスルツカヤ選手の体はゴム鞠のよう。コーエン選手のI字スピン(前に高く上げた足を胸に抱えながら回るスピン)は体操から転向した人だけあって完全な一直線だ。

学生時代体操部のキャプテンをしていた妹の夫が言うには、体の柔軟性というのは「素質」なのだそうだ。赤ちゃんの頃から訓練すれば誰でもあそこまでになるかというとそういうものではなく、あの柔らかさは持って生まれた才能であるらしい。
だから、体操やフィギュアスケートといった競技でオリンピックを目指すべく英才教育をされている子どもたちは養成学校の入学テストでその素質を持っていると判断された子。世界で戦うためには努力ではどうにもならないレベルの柔軟性が必要なのだ、ということだ。

ところで話は突然変わるようだが、その昔、私は運動神経がとてもよかった。小学校の運動会ではリレーはアンカー、体育の授業では鉄棒でも跳び箱でも球技でも、最初にお見本をさせられる子どもだったのだ。
が、そんな私にもひとつだけ苦手なものがあった。それはマット運動。そう、私はむちゃくちゃ体が固いのである。
足は九十度開くのがやっとこさ。ストレッチで足の裏を合わせたら、膝が床から三十センチ離れる。友達に背中を押してもらって必死で思いで前屈しても、先生に「まじめにやれ」と言われてしまう……。
これだけは屈辱的にだめだった。

しかし、中学に上がったらマット運動はなくなった。
もう「小町ちゃん、マットはお見本しないのお?」とからかわれることもない。私は快哉を叫んだ。
「これで私の人生安泰よ!体なんか固くってもどうってことないもんね〜」

たしかに高校の体育でもマットはなかった。
けれどもそれからもう少し大人になったとき、私は再び「やっぱり体は柔らかいほうがトクかもね……」 と思うようになった。

べつにそうアクロバティックなことをしているわけではないのですよ。決してないのに、足がつりそうになるのは困ります。ゴキッと鈍い音がして、「……ちょっ、ちょっとたんま!アイタタタ!」と叫ばなくてはならないのもかなり萎えます。
ああ、すっかり大人になってからまた柔軟性のなさに不自由を味わわされることになろうとは。考えてみれば、これも「マット運動」みたいなものだものね……。



という話をmixiのお友達にしたところ、「私もけっこうあれこれと大変だったりします(笑)」と賛同してくれた女性があるコミュニティを教えてくれた。
「体がかたい人」というその名もズバリな集まりを覗いてびっくり。私の仲間が四千人もいるではないか。それどころか、掲示板には私のさらに上を行く鋼鉄ボディの持ち主がたくさん集っている。

「足を投げ出して座る体勢がきつい。畳の部屋とかで『どうぞ足を伸ばしてくつろいで』と言われるのがつらいです」
「かかとをつけたまましゃがめない。無理にやると引っくり返るので、和式トイレは前にあるパイプを掴みながらします」
「前屈をお辞儀と間違えられました」

私はアヒル座り(ぺたんこ座り)もできるし、背中で上からの右手と下からの左手をつなぐこともできる。和式トイレだってノープロブレムよ!
自分より悲惨な人を見つけたからといって私が救われるわけでもなんでもないが、ちょっとうれしい。
数日前、「このくらい私だって……」とインリンの例のポーズの真似をして、足がもげそうになった私。
心底あほらしいと思う。思うけれども、あれだけ真横に広げられるなんてすごいような気もする。