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2005年11月25日(金) 問題のありか

二十二日付けの読売新聞に、「解雇は仕方ない 親としての問題」というタイトルの投書が載っていた。
投稿者は五十代の主婦。数日前に同欄に掲載された「人情味あふれる電車運転士必要」に疑問を投げかける内容だった。どちらも東武鉄道の運転士解雇問題について書いた文章である。
このニュースはご存知の方も多いと思うが、事のあらましはこうだ。

東武鉄道野田線の南桜井駅で、普通電車の運転室に30代の運転士の長男(3つ)が入り込み、次の川間駅まで運行を続けたことが10日、分かった。同社は「重大な服務規定違反」として、運転士を懲戒解雇する方針。
同社によると1日、運転士の妻と長男が電車の先頭車両に乗車。父親の仕事姿を見た長男が運転室のドアをたたくなど騒いだため、なだめようと停車中にドアを開けたところ、運転室に入り込み、そのまま発車した。
運転士は「しかったら泣いて座り込んでしまった。運行を遅らせるわけにはいかないと思った」と話している。長男は運転中はおとなしくしていたといい、川間駅で停車中に妻に引き渡した。
(2005年11月10日 共同通信)


さて、私は今回の投書を読み、「あれを読んで違和感を覚えた人はやっぱりいたんだな」と思った。
元記事の「人情味あふれる電車運転士必要」には私も首を傾げたひとりである。投稿者の三十代の女性は、子どもの頃にすし詰め状態の電車に乗っていたら運転士が「かわいそうだから」と中に入れてくれた思い出に続け、
「親子で駅の清掃をさせるなどの処分でよいのではと思う。解雇の理由が『安全運転は鉄道事業者の使命だから』というが、運転士にはこれぐらいの人情味があってもいいのではないか」
と書いていた。
「親子で清掃」という発想もユニークであるが、この件は女性にとって“これぐらいの”という言葉で片づけられることなのだという事実は、さらに私を驚かせた。そうか、そんな人もいるんだなあ。
……と思っていたら。その後の報道によると、東武鉄道には二千件の意見が寄せられ、うち千八百八十件が「処分が厳しすぎる」「自分のせいで父親が解雇になったと知ったら子どもがかわいそう」など同情的なものだったという。
ためしにYahoo!の掲示板をのぞいてみると、東武鉄道に対する抗議のトピックがいくつも立ち、「解雇権の濫用だ」「東武にはもう乗らない」「血も涙もない会社だ」といったコメントが連なっている。
今回の処分についていたしかたないと思う私のほうが、「そういう人もいるのか」と言われる側だったようだ。

* * * * *

しかしやはり私は、JR福知山線の脱線事故を経験し、電車で死ぬこともあるのだと知ってもなお、多くの人がいま自分が手にしている安全には“余裕がある”と思っている現実に驚かずにいられない。

「公私混同したことはよくないが、重要な操作器具は足元にはないから大丈夫だと考えたのだろう。運転室に子どもをひとり入れることに即事故につながるような危険性があるとは思えない」

掲示板でこういうコメントをたくさん見かけたが、はたしてそうだろうか。
脱線事故の後もしばらくのあいだ、新聞には毎日のようにどこそこ駅でオーバーランが発生したというニュースが載った。世間の目が厳しくなり、どの路線の運転士もかつてないほどの緊張感、集中力を持って業務にあたっているであろうに、それでも何十メートルも行き過ぎてしまう電車が出る。これはその運転がそれほどデリケートなものであるということの証明ではないだろうか。
そのことを考えれば、子どもに気を取られた状態で運行することに不具合があることははっきりしている。

公私混同がどうとか、三歳児の手の届く位置にスイッチがあるとかないとか、問題にすべきはそんな表面的なことではない。
運転室に子どもを入れたまま運行することを「その程度のこと」と感じてしまう、そのことこそが危険の正体であり、問題のありかなのだ。これは運転士だけでなく、乗客の意識においても言えることである。
規則違反であることを知りながら、どうして運転士は子どもを隣りに置いたまま運行したか。発車時刻になったからだ。
規則は運転士に窮屈な思いをさせるためにあるわけではない、乗客の安全を守るためにあるのだ。しかし、彼が恐れたのは「安全」の部分を脅かすことではなく、ダイヤを乱すことのほうだった。それは運転室のドアを開けたこととは比較にならない重大な判断ミスである、と私は思う。
安全第一よりダイヤ優先。その発想が半年前、悲惨な事故を起こしたのではなかったか。「たった一駅」「わずか四分間」でも根はまったく同じなのだ。

しかし、その過ちを運転士ひとりのせいにすることはできない。
彼の「運行を遅らせるわけにはいかないと思った」という発言を読んだとき、JR西日本の営利体質があれだけ批判されたのを目の当たりにしても、鉄道会社の幹部の意識はなにも変わっていないのだな、と思った。脱線事故の後、「安全運行はすべてに優先する」が現場の人間にあらためて周知されていたならば、今回の運転士も少々手間取っても子どもを運転室から出そうと考えることができたかもしれない。
そして、私たちにも考えなくてはならない点はある。ほんの数分の遅れにも乗客から激しいクレームがつけられるとしたら、彼らは「なにがなんでも時間厳守しなくては」とプレッシャーを感じずにはいられないだろう。
私たちが寛容になるべきは「運転室に子どもを乗せること」に対してではなく、こういう部分にではないだろうか。


懲戒解雇が妥当であるか、厳しすぎるか。私にはそんなことはわからない。
私は東武鉄道の人間ではないから、その判断基準を持たない。どの程度の罰則が相応かの判断などつかないから、「解雇は当然だ」とも「停職で十分だったのでは」とも言えない。
ただ、法律や社則に抵触する行為をした社員の処分をいかにするかの裁量権は会社にある。東武鉄道が何百という乗客の命を預かる立場にある者の行為として情状酌量の余地はないとしたならば、甘んじて受け入れるしかないだろう。
それが、私の「いたしかたない」の理由だ。

運転士の妻と子どもたちは運転士の勤務終了後に一緒に買い物に出かけようとして、その電車に乗車したそうだ。
仲の良い家族の姿が目に浮かぶ。四人で支え合い、この試練を乗り越えてほしい。