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2005年09月07日(水) あなたに壊れてほしくない

A子から映画のお誘いの電話があったのは当日の朝。すでにチケットも買っているのに一緒に行く予定にしていた相手にドタキャンされてしまい、困っているのだという。
「でも私、映画はあんまり・・・。ちなみになんの映画?」
「『容疑者 室井慎次』」

うん、やっぱり断ろう、と思ったそのとき。約束をキャンセルしてきたのはB子やねん、と彼女。B子というのは私とA子の共通の友人である。
「その件で、ちょっと聞いてほしい話もあるんよ」
ふうむ、そういうことならこれも友人孝行か。

* * * * *

喫茶店で注文を終えるなり、A子が携帯を突き出した。B子から昨夜遅くに届いたメールだという。そこには「用事があったのを忘れていたので、明日は行けなくなりました」という電報並みに飾り気のない一文があった。
「ちょっと感じ悪くない?」
温厚なA子がむっとした表情で言う。ドタキャン自体はしかたがないと思うことができる。そりゃあガッカリだし気分だってよくないけれど、人間うっかりすることもあるだろう。しかし、その場合は「ごめん」の一言があってしかるべきではないか。

・・・と彼女はカチンときたのだけれど、感情を露わにするのもおとなげないと思い、もうチケットを買ってしまったのに、とだけB子に伝えた。
すると、返ってきたのは「それならチケット代は払います」というメール。これにも「ごめん」は見当たらなかった。
そこでA子はいよいよ腹を立て、「そういう問題じゃないんじゃない」と書き送ったところ、ようやくB子は自分の落度に気づいたらしい。不愉快な思いをさせて申し訳なかった、とメールが届き、機嫌を直したA子が「もういいよ、近いうちにまた会いましょう」と返して、この件は終わったそうだ。
しかし、A子はわだかまりとは別の、すっきりしない気持ちを引きずっていたらしい。再び私に携帯を渡し、「それ、読んでみて」と言った。

B子の話は以前書いたことがある。彼女はこの春転勤になり、地方でひとり暮らしをしているのであるが、慣れない土地での生活と仕事のストレスから数ヶ月でうつ病になってしまったのだ(詳細はこちら)。そして半年経ついまも、彼女は毎週末片道四時間かけて実家に帰ってきている。
メールには、病気のせいにはしたくないけどミスが増え、上司に怒られてばかりで仕事に行くのが怖い、大阪に帰りたい、不愉快な思いをさせてしまってA子には合わせる顔がない、自分は最低の人間だ------といったことが切々と書かれていた。
私の「あれから少しもよくなっていないのだろうか・・・」は杞憂ではなさそうだ。

三年前、私とA子が中国に旅行に行くとき、B子は関空まで見送りに来てくれた。そのとき、中国が好きで学生時代から何度もひとりでかの国を訪ねている彼女は餞別だと言って、私たちにトイレットペーパーを一ロールずつ持たせた。
なんの冗談かと思ったら、あちらのトイレには紙がないし、食堂などのテーブルもすさまじく汚いからポケットティッシュなんかじゃ追いつかない、重宝するから持って行け、と言う。
ちょっぴり感動した私が「わざわざ家から持ってきてくれたん?」と訊いたら、「なわけない。そこのトイレから失敬してきた」とすまして言ったっけ。
あの活発で明るい彼女がこんな文章を書くなんて・・・。悲鳴が聞こえるような気がして涙が出そうになった。


少し前までうつ病啓発活動のテレビCFを流していた製薬会社グラクソ・スミスクラインのサイトには、周囲の人に向けての「『今夜の夕食は何にする?』レベルの小さなことであっても、本人に考えや決断を求めることは避けてください」という注意書きがある。
そのくらい心を休ませることが大切ということなのに、いくら病院に通っているからといって、ミスに怯え、上司にびくびくする生活をしながらでよくなるものなのだろうか・・・。
私は彼女に壊れてほしくない。でも、彼女においそれと仕事を手放せない事情があることも理解している。
前方にしか道がなかったら、それがどんなに険しかろうと人は進むしかない。そのとき、周囲の人間は彼を、彼女をどう支えたらいいのだろう。

「今度、うちで集まろうよ。ちょっと早いけど、三人で鍋でもどう」
実際のところ、こんなことがなんの役に立つというだろう。だけど私にできるのは、その“こんなこと”しかなくて。