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2005年06月01日(水) 惜しくないと思えるまでは。

多くの人もそうではないかと思うのだけれど、日記を書きながら心が浮き立つようなときとそうでないときがある。
前回前々回のテキストはどちらかといえば後者だった。同じテーマで書いた人は過去にいくらでもいるだろうと思われる、言わば“手垢ネタ”には食傷していて(私にとっては「男と女の友情は成立するか」なんていうのもそうだ)、「web日記がどうとかなんて、まったくいまさらだよなあ・・・」とひとりごちながらキーボードを叩いたのであった。
そういうテンションの低さはそこここに表れ、読み返してみると文章に笑顔がない。

しかしながら、何人かの日記書きさんから「『自分にとって日記とはなんだろう?』をあらためて考えてみました」という内容のメールをいただいた。
“指取り重く”書いたテキストは反応も少ないのが常なのであるが、今回は書き手であれば誰でも一度や二度は考えたことがあるテーマだったからかもしれない。

* * * * *

その中にいくつか「やめたいと思うことがある」「やめようかと悩んでいる」というものがあった。
「日記書きって、力仕事だものなあ・・・」
と相槌を打つ。自分の中からなにかをアウトプットする作業は気力が満ちているときでなければ、なかなかつらいものがある。

しかし、理由はそれだけではない。一通を除いたすべてが「ネタ探しの苦労」について触れていた。
「日記」と聞けば「三日坊主」という言葉を連想する人も少なくないのではと思うのだが、ノートにつけるものであれネット上で公開するものであれ、日記と名のつくものにはそのくらい根気が必要である。しかしながら、後者の場合はそれだけがいくらあってもどうにもならないところがある。
前回のテキストに、「プライベートな日記とweb日記のもっともわかりやすい違いは、ネタを探してまで書こうとするか否かという点だ」と書いたが、後者を続けようとするとき、むずかしいのはモチベーションを保つことよりネタを切らすことなく調達することなのだ。
一枚取り出せば次の一枚が顔を出すティッシュペーパーのように、ネタが待機してくれているということはない。それどころか、たった一枚引っぱり出しただけで箱は空っぽになってしまうのである。

それでも周囲を見回すと、多くの日記が毎日更新だ。そして、書き手からは「今日書く分のネタを見つけるまでなんとなく落ち着かない」なんて話をしばしば聞く。
「なんとなく」で済んでいるうちはまだいい。それは徐々に進行し、じわじわと自分の首を締めはじめる。
なにか書きたい、書かなきゃ。ネタ帳を開く、ストックはひとつもない。今日は休んでしまおうか・・・いや、だめだ。焦る、趣味なのにどうしてこんなしんどい思いをしなくちゃならないんだろう?ああ、いっそやめてしまおうか・・・。

そのたび私は「次の電柱までがんばろう、次の電柱が来たら歩くんだ」と自分を励ましながら走るマラソンランナーの姿を思い浮かべる。そして、「書きたいことがあるときだけにしたら?」「土日はお休みにしてもいいんじゃない?」と提案してみるのだけれど、たいていは「来てくれた人をがっかりさせるのが忍びなくて」「変に休んでしまうとエンジンがかからなくなるような気がする」という答えが返ってくる。
そうだよな。人に言われてそうしようと思えるくらいなら最初から悩んだりしない。


「ノートの日記は続いたためしがないのに、web日記が続いているのは読んでくれる人がいるから」
と言う人は少なくない。
読まれることの喜びは大きい。和式トイレのレバーをあんなにたくさんの人が踏んづけているということも、もし日記を書いていなかったら私は一生知ることがなかっただろう。
それでも私の人生にはなんの不都合もなかったと思うけれど、「またひとつかしこなったわー」と笑える機会があるのはラッキーなことだ。こんなに発見に満ちた場は、私の生活にはサイトをおいてほかにはない。

もしあなたが人知れず悩んでいるなら。
読み手あっての日記、だからこそ「マイペースでやる」がこんなにもむずかしいけれど、息が切れたら立ち止まる勇気も必要みたい。
お互い長生きしましょう、手放しても惜しくないと思える日が来るまでは。