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2005年04月15日(金) 大阪のだいぶ右が、東京

人には得手不得手というものがある。
仲良しの同僚はカタカナが大の苦手。海外の小説は登場人物の名が記憶できないから読めないし、パソコン用語になるとお手上げだ。昨日今日使いはじめたわけではもちろんないのに、いまだにDeleteキーを「ディレート」と呼び、「ブラウザ」が覚えられない。

私の夫は女性の顔が同じに見えるという不思議な目の持ち主だ。キリン生茶の新しいCFを見ながら、「このおねえさん、誰?」と言う。松嶋菜々子でしょうがと答えたら、「あれ、こんな顔だったっけ」。
上戸彩と小西真奈美の見分けがつかない。木村佳乃と矢田亜希子が判別できない。外国人は似たような顔に見えるが、それと同じ感覚らしい。
・・・ん?
ということはもしかしたら彼の目に妻が菜々子に映っている、なんてことも・・・うししし(ありえません)。

* * * * *

「人がなんなくこなしているのに、自分にはどうしてもできないこと」は私にもある。
わかぎゑふさんのエッセイに、友人に「大阪のだいぶ右が東京やんね?」と言われびっくりしたという話があったが、私もその女性とまったく同じだ。
東西南北を使わない。自分がいるところから見て、その場所は地図的に上か下か右か左か。そう、私は極度の方向音痴である。

昨夏、スイスをレンタカーで回ったときのこと。運転を一手に引き受ける夫の役に立とうと、けなげな妻はナビを買ってでた。
・・・のであるが。

「ジュネーヴ、ジュネーヴ・・・」
「西の方角にあるはずだよ」
「西ってことは、左やね」

しかし、地図を穴が空くほど眺めてもジュネーヴのジの字も見つからない。そこで「これには載っていない」という結論を下したところ、
「名古屋が載ってない日本地図がある?」
と道路マップを取り上げられてしまった。探す気がないものと見なされたらしい。

こんな私は路線図から駅を探し出すのもものすごく下手。異常に時間がかかる。
東京の地下鉄のそれなどあまりに複雑なため、じいっと見ていると目が寄ってくる。以前、浅草寺に行こうとして十五分くらい路線図とにらめっこをしたことがあるのだけれど、「浅草」を見つけられなくて切符を買えずにいるということを行き交う人に見破られたくなくて、私は切符売場の柱の前で人待ち顔をしつつ目を皿のようにして探すという芸をしなくてはならなかった。


体内磁石を持っているのは渡り鳥や回遊魚だけではないらしい。それは人間にもちゃんと内蔵されており、「こっちに行けば海に出る」「北はあっちだ」が直感でわかるようになっているという。
たしかに、旅先で道に迷ったとき、友人が「ええと、南はこっちだから・・・」とさらりと言うのを聞いて驚嘆することがある。なぜそんなことがわかる、太陽や星の位置で方角を確かめたのかっ?
店から出てもと来た道を戻ろうとして、一緒にいる人に「ちょっと!どこ行く気?」と呼び止められる私とは大違いだ。私の中には方位磁石がないか、狂っていて使いものにならないかであることは間違いない。

カラオケの最中にトイレに立つと部屋に戻れない。大きな駐車場では車にたどり着けない。友人は私が「ほら、そこの角のコンビニにさ」なんて言いながら指差す方向にその建物があったことは一度もないと証言する。
職場のある階に上がるには向かう合うエレベーターのどちらかを利用する。Aに乗れば降りて右方向に、Bに乗れば左方向に進まなくてはならないわけだが、もう二年以上毎日通っているというのに勢いよく歩き出したら目の前は壁だった、ということがいまだにある。そのたび私はそこに置いてあるゴミ箱に用事があったのよという振りをしなくてはならない。
そのため、満員のエレベーターで自分が一番手前に乗っているときは「右か?それとも左か?」とものすごく緊張するのだ。


一時流行った『話を聞かない男、地図を読めない女』によると、地図を読んだり方角を捉えたりするには「空間能力」が必要なのだそうだ。
対象物の形や大きさ、空間に占める割合、動きや配置などを思い浮かべ、それを回転させたり、立体的に見たり。すなわち三次元的にものを見る能力のことであるが、これをつかさどる脳の部分は女より男のほうが圧倒的に発達しているらしい。
太古の昔から、男は獲物を追いながら距離を目算したり、どんなに遠くにいても家のある方角を察知し帰り着かなくてはならなかった。その、狩人としての進化の名残だという。

空間能力の欠如。つまり私は典型的な女脳の持ち主ということになる。
先日、いつも利用している駅の南口ではなく北口からホームにあがったら、逆方向の電車に乗ってしまった。車内アナウンスを聞いてはじめて気づいた私。
「きっとそれだけ女性らしいってことなのね・・・」
とつぶやき、自分をなぐさめる。その日、帰宅が二十分遅れた。