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2005年02月23日(水) 女の不用意(後編)

※ 前編はこちら

そしてもうひとつ、俵さんがそのチャンスを逃さざるをえないことになるとしているのが、下着の不用意だ。
どんなにムードが盛り上がって、この人とならと思っても、グンゼの白くて大きいパンツなんか履いていたらぜったいにその先はない、ということであるが、もしこれが理由で断ったことがあるという女性がいるとしたら、真剣みが足りないとしか言いようがない。不用意さのレベルで言えば、部屋をちらかしたまま出かけることの比ではない。

が、これと同じくらい理解に苦しむことを私は挙げることができる。
以前、「彼とそういう雰囲気になったはいいが、前の晩に脇の手入れをしていなかったことを思い出し、かなり迷った」という話を友人から聞かされたとき、私は机に突っ伏した。
どうしてそんなことが起こりえるのか。同性として想像するに耐えないシチュエーションである。
……なんて言ったら、「まさか、そんな。信じられないよ!」という男性の悲鳴が聞こえてきそうだ。
なんだかんだ言って男性はロマンティストだと思うので、こんなことを言うのは忍びないのだが、女性はみんなきちんとしているものと思ったら大間違いである。冬のあいだはムダ毛の処理をしないという女性もいるくらいなのだ。
先日一緒に温泉に行った友人もそうで、「彼氏ができたらちゃんとするもん」とすましているが、何を言っている。そういうことをなおざりにしているから恋人ができないんじゃないか!

話を戻そう。
その気がないわけでもない男性とのデートにおへそまで隠れるような下着を着けて、あるいはムダ毛の処理をせずに行くというのは、今日はウィンドウショッピングだからと交通費しか持たずに出かけるようなものだ。思いがけず素敵な服を見つけ、欲しくてたまらなくなるなんてことは絶対にない、と誰に言い切ることができるだろう?
林真理子さんの小説『不機嫌な果実』の中に、
「男はその時許されたと思っているが、実は十二時間前、朝、クローゼットから下着を選び出した時に、女たちは許しているのだ。」
という一文がある。私はこれに深く頷くが、そういう女性はその場になって初めて許すか許さないかを検討するのだろうか。

せっかくいい雰囲気になりながらもそうなれなかったとき、無念なのは男性だけではない。
渡辺淳一さんの「たいていの男は二度は挑まない」説にはそうだろうかと首をひねる私であるが、自分の意思以外のものに阻まれてチャンスを逃がすというリスクはあらかじめ取り除いておきたいとはやはり考える。
「持つことが、ゆとり。」という信販会社のキャッチコピーがあるけれど、その機会が訪れようが訪れまいが、応じようと思えば応じられる状態にしておく、これが安心でありゆとりなのである。

逆に考えると、情にほだされやすい女性は恋人と別れようと決めた瞬間から部屋に掃除機をかけず、脇の手入れをさぼり、当日はうんと年季の入った下着を着けて出掛けるとよいということになる。
「わかったよ。じゃあ僕に最後の思い出を……」
と彼が言うかどうかは知らないが、その夜のあなたは宇宙一貞操堅固な女になっているはずだ。


というわけで女側の不用意についてここまで書いてきたけれど、予想外の展開に慌てたり躊躇したりするのは女性に限ったことなのだろうか。
次回はそれについて考える。