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2004年11月08日(月) 「もやもや」の正体

突然隣席から聞こえてきた「申し訳ありませんっ」の声に、思わず全身を耳にする。受話器を握りしめた同僚がしどろもどろになりながら、謝罪の言葉を繰り返している。
どうしたんだろう、さっきまでふつうに話していたようなのに……と思っていたら、やっとという感じで電話を切った彼女が「聞いてえ、むかつくう」と話しかけてきた。外線を取ったら、営業の男性宛てのものだった。が、当人は会議中。彼女が「席を外しているようなんですが」と答えたとたん、相手が声を荒げたという。
「いい加減な言い方をするな、席にいるのかいないのか、はっきりしろ!」
揚げ足を取られたと彼女はその日一日腹を立てていたが、「〜しているようです」という言い方に人をいらつかせるものがある、というのは私にもわかる。
他社に電話をかけ誰かを呼び出してもらおうとすると、「○○はほかの電話に出ているようなんですが」と返ってくることがあるが、不親切だなといつも思う。ほとんどの場合、「電話中」と受け取って間違いないのだろうが、急を要するときはこの返答では心許ない。細かいことを言えば、「ようです」ではどのくらい確かな情報なのかということがわからないからだ。電話に出た人がろくに確認をせぬまま推測で答えている可能性がないとも限らない。実際、「外出しているようですが」と言われ、帰社時刻を尋ねたり伝言を頼んだりしようとすると、「……あ、おりました。代わります」なんてことがときどきある。
とはいえ、その頼りない返答に対する歯がゆさやいらだちを見ず知らずの人間相手にもぶつけずにいられない人がいる、ということにはやはり驚く。そういえば、最近読んだタレントの松尾貴史さんのエッセイにも、
「喫茶店でウェイターが『コーヒーになりまーす』と言いながら運んできたら、『いつですか?』と訊く。『コーヒーのほう、お持ちしました』には、『コーヒーしか頼んでませんが』と言う。われながら嫌な奴だが、そうでもしないとストレスがたまってしかたがない」
とあったっけ。
いや、私も言葉の好き嫌いははっきりしているほうだ。無意味な曖昧表現は好きでないし、誰かが口にしているのを聞いて耳障りに感じ、自分では使わないようにしている言葉もいくつかある。
しかし、たとえ「お会計のほう」や「一万円からお預かりします」が気になったとしても、レジ係の店員に詰め寄るほどイジワルではない。せいぜいこうして日記のネタにするくらいのもので。

先日テレビで、ヤンキースの松井秀喜選手との交際について質問された女優の酒井美紀さんが「去年の夏から何度か食事をさせていただいています」と答えているのを見た。
芸能人は熱愛が発覚すると判で押したように「○○さんとは親しくお付き合いさせていただいています」と言うが、私はそのたびふーむとうなる。これは交際相手を立ててのへりくだりなのだろうか。それとも、視聴者に「みなさまのおかげで」のニュアンスを伝えようとしてのそれなのだろうか。
いずれにしろ違和感を覚えることに変わりはない。前者であるなら恋人関係にある男女のあいだで謙遜しすぎは白々しいし、後者であるなら恋愛まで「ファンあってのもの」ではないのだからそこまで遠慮したり卑屈になったりする必要はない。
不快感とも呼べそうな、このもやもやした感情は用法を誤っていること自体ではなく、その人が自分が用いる言葉の意味にあまりに無頓着であることに起因しているのだと思う。礼の言葉代わりに使う「すみません」や必要性のない「失礼ですが」が好きになれないのもそういうことだ。
もしその人がそれを正しい言葉だと思い込んで、「○○は本日は退社させていただきました」や「そこのお醤油、取ってもらってもいい?」を使っているのであれば、私はここまでの気持ち悪さは感じないような気がする。

夕食のあと、ソファでごろごろしている夫になにか飲もうかと声をかける。コーヒーと紅茶、どちらにする?と訊くと、彼はいつもこう言う。
「コーヒーでいいよ」
私は彼が無意識に使う、この「で」を聞き流すことができない。言葉狩りのような真似はやめようと思いつつ、毎度言ってしまう。
「べつに妥協する必要はないよ、あなたは好きなほうを飲むことができるんだから。さあ、『コーヒー・が・いい』のですか。それとも、『紅茶・が・いい』のですか」
夫の答えも決まっている。
「コーヒー・いい」
私も可愛げがないけれど、意地でも「が」を使わない彼とはなかなかいい勝負をしているのではないかしら。

【あとがき】
先日ニュースを見ていたら、新潟でボランティアをしている若い女の子がリポーターの「ここでの食事はどうしているんですか?」の質問に、「自分でお店で買ってきたり、こちら(避難先の施設)の食事を分けていただくこともあります」と答えていました。「分けていただくことも……」の部分はすまなさそうな口調ではありましたが、卑屈には聞こえなかった。この「いただく」には彼女の自然な感情が表れていて、とても感じがいいなと思いました。