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2004年06月18日(金) ヒトゴトじゃない

友人とカウンターに並んで食事をしていたときのこと。
グラスワインが回ったのか、彼女が「熱くなってきた」と言いながらカーディガンを脱いだのだが、そのタンクトップ姿を見て、私は小さな悲鳴をあげてしまった。あらわになった肩から二の腕にかけて、大きな焦げ茶色の斑点がびっしり並んでいたからである。
海が大好きで、毎年必ず南の島に出かける彼女。燦々と降り注ぐ太陽の光を浴びながら青い水に浸かり、白い砂とたわむれる……を繰り返しているうちに、デコルテ一帯をそばかす畑にしてしまったのだ。
しかしながら、彼女に気にしている様子はまるでない。「恋人ができたらどうすんの」と愕然とする私とは対照的に、「できてしもたもんはしゃあないし」とのん気なものだ。
その大らかさに降参しつつ、私はふと、少し前に読んだ酒井順子さんのエッセイを思い出した。
「夏服の女性」というタイトルのそれは、
「知人の男性が、『夏は女性が綺麗になるからいいよねえ……』としみじみ言った。それは女性の露出度に関係しているのだろう。いままでコートやタイツで隠されていたものをやっと見ることができた喜びを、彼らは『綺麗になる』と表現するのだ。しかし、私はその反対だと思う。汗で化粧は崩れ、薄着のため脂肪やムダ毛が目につく。夏は女性が汚く見えるから、なんだか嫌だ」
という内容であった。
うん、酒井さんらしい、ヒネたというか可愛げに欠ける発想だ。そうつぶやいたあと、思わず苦笑い。私も同じようなことを感じていたからである。
色合いという点ではたしかに華やかになるけれど、夏服の薄い生地や露出度の高いデザインは、本来人様に見せるべきでないものまであらわにする。二の腕の肉が揺れ、肩からはブラジャーのストラップがのぞき、トップスの丈がますます短くなってローライズの背中からは下着どころかお尻の谷間が見えそうだ。
先日ショックだったのは、電車で座って本を読んでいたときのこと。ふと視線を上げ、私の前で吊り革を持って立っていたノースリーブを着た女性のワキが目に入った瞬間、絶句した。とっさに視線をそらし、そのあとは恥ずかしくて顔が上げられなかった。怒りのようなものまで込み上げてきて、「そういう服を着るときはちゃんと気をつけなさいよ!」と叫びたくなった。
いまとくに欲しいものはないけれど、もし三十万ポンとくれる人が現れたら、私はすぐさま永久脱毛に行く。こういうことに無頓着でいられる人が信じられない。
電車の中で出くわした光景に、当人に代わって羞恥を感じることはしばしばあるが、人前で化粧をする女とムダ毛に気づいていない女なら、私は同性として後者のほうが百倍恥ずかしい。
私たちのウィークポイントやだらしなさを容赦なく晒す、油断ならない季節だよ。夏が来るたび、そう思う。
街で見かける薄着の女性に「眼福、眼福」と目を細める男性は少なくないと思うが、その視線はぴったりしたニットの胸やミニスカートから伸びた足にしか行くことはないのか。背中のニキビやかかとの角質にげんなりすることはないのだろうか。

髪をバッサバッサとかきあげながらラーメンを食べている女性を見ると、「バレッタくらいバッグに入れときなさいよ」と思う私は、夏は髪をアップにしていることが多い。汗をかいた首すじにまとわりつくのが嫌だからなのはもちろんだが、カラーリングをしていない長い髪をおろしていると傍目にもうっとうしいだろうというのもある。
真夏に黒いストッキングを履いている人がいたら、見ているだけで汗が出そうだと思うだろう。気温だけでなく視覚的な暑さ、つまり「暑苦しさ」も周囲の人間の体温や不快指数を上昇させるのである。

近所のスーパーの肉売場には「おさかな天国」の肉バージョンの音楽が大音量、エンドレスでかかっている。
「にくにくにっく、にくにくにっく、にーくー大好きぃー♪」
夫はいつもこれが聞こえてくると、テープに合わせて口ずさみながら私の脇腹をムギュと掴むのだが、先日は歌詞を間違えた。
「にくにくにっく、にーくーつきすぎぃー♪」
暑苦しさがヒトゴトでないことを知った、週末の夕べ。

【あとがき】
私の職場は服装の規制がかなり緩いんですね。よってこの季節はノースリーブを着る女性もかなり多いのですが、私はいつもどきりとします。袖のある服を着ていたときにはまったく気にならなかったのにノースリーブになったとたんハッとするのは、二の腕のたくましさではなくバストの豊かさ。体がスリムだと胸が大きくても健康的でよいのだけれど、色白でむちむちした人だったりすると、女の私でさえなんとなく目のやり場に困ることがあります。いくら男性でも仕事中に「眼福、眼福」なんてやっている余裕はないだろうし、仕事しづらくてありがたくないんじゃないか?と思うんだけど、どうなんでしょうか。