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2004年04月19日(月) 大いなる勘違い

柴門ふみさんのエッセイにこんな話があった。
大学入学のために上京した彼女は風呂無しアパートに住んだため、銭湯通いをすることになった。はじめは見るのも見られるのも恥ずかしかったが、ひと月もするとずいぶん慣れ、女たちの裸体を観察する余裕が出てきた。
率直な感想は「たいしたことないなあ」。若くてもブヨブヨだったり、色黒ペチャンコだったり。なんだ、裸のきれいな女なんて世の中そうはいないものなのね。そして、彼女は思った。
「ひょっとしたら、私っていいカラダのほうなんじゃないかしら」
なんせ、彼女が行くと三助さんが必ず彼女を見るのである。三助さんといえば、女の裸に関してのプロ。そのプロが一目置くのだから自信を持ってもいいんじゃないかしら、というわけだ。
しかし、知り合いに「ねえねえ、風呂屋に行くといつも三助さんがあたしをジロジロ見るのよぉ」と得意げに話したところ、「背中に入れ墨でも彫ってんですか」と素で返ってきた。彼女は大層がっかりしたそうだ。

柴門さんはとても愉快な人で、彼女のエッセイにはこの手の勘違いエピソードがよく出てくる。
自転車の荷台に息子を乗せて信号待ちをしていたら、横につけた車の男がガラス越しになにか話しかけてくる。「まっ、子連れとわかっていながら厚かましい男ね。ウフフフ」と内心ほくほくしていると、男が窓を開けて言った。
「坊や、靴を落としましたよ」
なんて微笑ましい話なんだろう。私はこういう人が大好きだ。「私なんかダメよ」と思っている人より、どんなことも自分にとって幸せな方向に解釈できる楽天的な人のほうが、一緒にいてもずっと楽しいはずである。
……と肩を持つのはなにを隠そう、私もしばしばこういう勘違いをやらかすから。まったく同じパターンの「がくっ」ももちろん経験済みだ。
仕事帰り、一階に下りるためのエレベーターで途中階から乗ってきた男性がちらちらとこちらを見る。
「お茶でもいかがですか、なあんて」
エレベーターのドアが開くと同時に、本当に「あの……」と声がかかった。
「名札、ついてますよ」
自分のおめでたさを棚に上げ、私は心の中で抗議する。
「くくぅ、思わせぶりな……」

先日、友人と食事に出かけたときのことだ。そのダイニングバーは夜景がきれいに見えたし、料理もおいしかった。私は店を出て歩きながら、「ここ、よかったね」と彼に笑いかけた。
すると、友人が私を見てはっと息を飲む。どうしたんだろうと思っていると、
「あのね、いま小町さんが振り返ったとき、看板の青いライトが小町さんの顔を照らしたんだよ。でね、それがすごく……」
そこまで言って口ごもった。そして、いつになく真剣な面持ちで私を見つめるではないか。心なしか照れくさそうにも見える。すばらしくムーディーな店の前で、私は不覚にもドキッとしてしまった。私はざわめく心を抑えながら、あとにつづく言葉を促した。
「うん、すごくね……」
(ドキドキドキドキドキドキ)
「こわかった」
私は音を立てて路上にくず折れた。
「そういうときってふつう、『きれいだった』とか『色っぽく見えた』がくるもんじゃないの!」
帰宅して夫に話すと、心の底からのあきれ顔。そんな期待をするほうがどうかしているのだそうだ。そして、おバカさんは相手にしてらんないよと言わんばかりに新聞を広げた。
そうかしら、私はそれ以外浮かばなかったけどなあ。

とここまで書いたところで、「僕が照れくさそうだったって!?」とモニターの向こうで友人がひっくり返る姿が目に浮かんだけれど、あきらめてもらおう。こういう勘違い、ほとんど私の趣味なんだもの。

【あとがき】
ときどきいますね、異性から好意を示されても「そんなわけないわ、だって私なんか」って真剣に受け止めようとしない女の子。さらにひどいのになると、告白されても「からかわれてるんじゃないか」なんて言う。そういうのよりはちょっとしたことでウキウキできる(期待はすぐにペシャンコにされるわけですが)おめでた体質の人のほうが人生得すると思います(と言って自分をフォローする)。