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2003年11月06日(木) 桜餅の葉っぱを食べますか?part.2

タイトルを見て、「あれ、part.1なんてあったっけ?」と思った方。そう、あなたは正しい。
1がないのに、なぜ2なのか。
日記読みをしていると、たまにモニターの前で身悶えしたくなることがある。たとえば、誰かが面白いテーマで書いているのを見つけたときだ。「いいネタ見つけてくるなあ!」とうれしいような、悔しいような。読みながら、ああ、私もいいものを書きたいという気持ちが胸に満ちてくるのを感じる。
昨日もそんな私の更新ダマシイに火をつけた日記がひとつ。『歯医者さんの一服』の十一月五日付け「桜餅の葉っぱを食べますか?」というテキストだ。
桜餅の葉っぱを剥いて餅だけを食べようとして奥様に叱られてしまった歯医者そうさん。心の中でこんな言い訳をする。
「葉っぱが塩漬けになっていて食べられることは知っている。でも葉っぱでくるまれた和菓子は中身だけを食べるのが僕流なんだ!」
話はそこからいろいろな食べ物の食し方のこだわり、流儀に発展してゆくのであるが、これがとても面白かった。そこで私は勝手にpart.2を名乗り、同じテーマで書いてしまったというわけだ(そうさん、タイトルぱくっちゃってすみません)。

好き嫌いはきわめて少ない。どうしても食べられないというものはひとつもない。しかしこんな私の中にも、いくつかの食べ物についてはそれを食すときのルールというかポリシーというかが存在する。
たとえば、そうさんのところでカレーライスの話が出ていたけれど、誰が何と言おうと私にとって生玉子とトンカツソースはカレーのマストアイテムだ。
「カレー+生玉子」が関西限定の習慣であるという噂は本当なのだろうか。たしかに、東京から赴任してきた同僚の男性が「そんな食べ方は邪道だ!」と憤慨していたし、横浜出身の夫も私が嬉々として玉子をときほぐすのをいつも複雑な表情で見つめる。「ちょっとかけてみる?」なんて言おうものなら、ちぎれんばかりに首を振るのだ。やはりあちらでは一般的でないのだろうか。
食べ方ではないけれど、カレーを作るときにそのほうがおいしくなるような気がして何種類かのルウをブレンドするのも流儀といえるかもしれない。
また、私は食事中に指を汚したままでいるのが好きでない。そのため、自宅で魚を食べるときはマナーにかなっていないことを知りながらも、先に皮と骨を全部取り除いてしまう。そして手を洗ってから、「いただきます」。ポテトチップスを箸で食べるのも、油のついた指のままでいるのが嫌だから。
よって、甘栗やグレープフルーツも剥きながら食べるということをしない。たとえ剥いたそばから夫についばまれようとも、すべての作業を終えてからゆっくり食べたいと思う。
果物を使った料理、つまり辛味と甘味が混在した食べ物も私にとってタブーだ。酢豚やハンバーグのパイナップル、ポテトサラダのリンゴ、ドライカレーのレーズン。生ハムメロンなんてもってのほか。もちろん私はその皿が目の前に置かれた瞬間に生ハムとメロンを引き離すが、時すでに遅し。どちらを口に入れても互いの味が移ってしまっている。
「ああ、もったいない……」
いくらパイナップルやメロンには肉を柔らかくする酵素があるんだと説明されても、おかず的な味つけの中にあの甘酸っぱさは合わない。
フルーツグラタンやフルーツピザを見ておいしそうと思ったことはないし、鶏肉のオレンジ煮やカマンベールチーズフライのブルーベリーソース添えを家で作ることもないだろう。ロッテリアのキムチシェーキにいたっては遊び心というより食べ物の冒涜ではないかとさえ思っている。
他にも、
・メインディッシュと添え野菜は別々の皿に盛り付ける
・エディブルフラワーは食べない
・お茶漬けには白湯をかける
・おにぎりには味付け海苔を使用
などいろいろあるのだけれど、きりがないのでこのへんにしておこう。

で、ここでようやく話がタイトルに戻る。桜餅は葉っぱごと食べるか、否か。
まず葉をていねいに本体から剥がし、真ん中に通っている太い筋を取り除く。それから何事もなかったかのように再び餅に巻いて、パクリ。
これが小町流正しい桜餅の食べ方。だって葉脈は食感がよくないんだもん。
……ってヘンかしら。

【あとがき】
ちょっとしゃれたレストランでサラダやマリネなんか頼むと、エディブルフラワーが混じっていることがありますが、どうも口に入れる気にならない。食用だとわかっていても野菜のようには思えないし、ドレッシングにまみれているのもなんだかかわいそう。ちなみにパンジーやスイートピー、コスモスなんかもエディブルフラワーですが、花屋で買ったものは食べてはいけないそうです(ちゃんと食用として農薬に留意して栽培したものでないと)。