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2003年02月26日(水) 土俵の女人禁制(前編)

「大阪府知事、またも土俵に上がれず。知事賞の直接授与は今年も見送りに」
数日前、新聞でこんな見出しを目にした。記事をお読みになった方も多いのではないか。そう、太田房江知事の「大相撲春場所千秋楽の表彰式で、優勝力士に土俵上で自ら知事賞を手渡したい」という要望が、今年もまた「女人禁制」の伝統を理由に日本相撲協会に却下されたという内容だ。
四年越しのこの土俵入り問題はまたも「水入り」。過去三年間と同様、今年も男性の副知事が代理授賞することとなった。
女性知事の土俵入りは認められるべきか否か。記事にはふたりの識者の見解が載っていた。女性初の横綱審議委員でもある脚本家の内館牧子さんは、
「大相撲は単なるスポーツではなく、神事が核となった伝統文化。現代社会の男女平等論を当てはめる必要はない」
と日本相撲協会の立場を支持。
一方、スポーツ経営管理を専門とする広島市立大学の曽根幹子助教授は、
「外国人力士の隆盛、優勝賞金の金額からも相撲の競技性が高いことは明らか。伝統を理由にした女性の締め出しは納得できない」
と反論している。
「相撲」の中に神事をみるか、あくまでもスポーツとみるか。ここが両者の主張の相違の原点だ。
ネットの掲示板でも、この問題は「女性差別か否か」の議論となって派手に展開されていた。土俵入り肯定派(認めるべき)は土俵の女人禁制について、
「『女は不浄』思想からきた悪しき伝統。女性差別以外のなにものでもない」
「上がってはいけない理由が理解できない。そんなことで伝統は壊れない」
土俵入り反対派(認める必要なし)は、
「相撲は日本の文化。その文化の伝統のひとつとして守られるべき」
「女性が入れない場所をすべて女性蔑視と決めつけるのはおかしい」
というのが、それぞれの主流意見のようだ。

というわけで、ここでみなさまにアンケート。
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あなたは

 男性  女性

 女性の土俵入りを

 認めるべき 

 認める必要はない 

 その他


 よろしければ理由を

 


 


じゃあ、小町さんはどうなんでしょ?
はい、私は「『女性を土俵に上げない』は伝統文化の領域であり、守られてしかるべきもの」という考えである。私はそれが女性差別に当たるとも思っていない。
相撲の起源は神道儀式であり、「神が血の匂いを嫌うため、生理で血を流す『女』を禁忌とした」という、科学が未発達な時代の宗教的思想が女人禁制を生んだと言われている。しかし、だ。はたして今も力士や相撲に携わる人間のあいだに女を不浄とする精神が息づいているだろうか。
その答えは女性の横綱審議委員が誕生していることからもわかるのではないか。たとえその起こりが不合理な仏教説話や迷信だとしても、その後何百年もかけて男たちが「角界」を築きあげてゆくあいだに差別的な思想は抜け、女人禁制は「伝統的なしきたりのひとつ」に転化した------とみなすことはできないだろうか。「女性差別の名残」などではなく。内館さんをはじめ、女人禁制の存続を主張する人たちも「たしかに女は不浄だから、土俵に上がるべきでないんだ」なんて思っちゃいないはずだ。
「『伝統文化の尊重』の一点張りでは理解できない」という反論を見かけるが、これ以上どう説明できるというだろう。
内館さんの言葉を借りれば、それは「相撲という伝統文化を形成する核のひとつ」である。伝統はもう、誰がなんと言おうと伝統なのだ。「守ってゆくべきものだから」としか言いようがないではないか。
力士が力水をつけるのも塩をまくのも四股を踏むのも、すべては身を清め、土俵の邪気を払うための儀式である。立行司が腰にさしている短刀は、差し違えたら割腹して責任を取るという決意を示したものだ。「プレイ」だけでなく、力士や行司の儀礼的な所作や装束といった伝統芸能的要素ごと楽しむところに、相撲と他のスポーツとの決定的な違いがある、と私は思っている。
もし相撲が神事を起源とするスポーツであり、よって角界が他に類を見ないほど伝統を重んじるきわめて特殊な世界であるということを理解できていれば、「なにも土俵の上で相撲を取らせろと言っているのではない。たかが杯を手渡すだけなのに、なにが問題なんだ」という発想は出てこないのではないだろうか。

貴乃花の引退で、大相撲はさらなる人気凋落が予想される。そのためだろうか、過去三度にわたる太田知事の要請を断固拒否してきた協会が今年初めて、「全国でアンケートを行い、今後の対応を検討したい」と柔軟な姿勢を見せた。
女人解禁が相撲人気の喚起につながるかは疑問だし、私としては協会には毅然とした態度で従来の主張を貫いていただかないと「あれだけ伝統、格式って言ってたのはなんだったのよ」になってしまう、という思いもある。
しかし、相撲が国技であり、今後も発展させていかねばならない日本国民にとって大事な文化であることを考えれば、ここいらで「伝統」の意義を見つめなおす機会を持つことは決して無駄ではないだろう。
伝統といえばなんでもまかり通るわけでないことはもちろんだ。残すべき伝統と、変革すべき伝統。時代は土俵の女人禁制をそのどちらだと判断するのだろうか。

【あとがき】
酒造りの杜氏の現場も比較的最近まで女人禁制だったんですよね。酒蔵もまた伝統と格式を重んじる世界で、女性が造り蔵に立ち入ることはタブーとされていました。酒は元来神に奉げる神聖な飲み物であり、その酒を造る蔵も神聖でなければならない。不浄の血が流れる女性は立ち入ってはならないと言い伝えられていたわけです。「女は不浄」の由来は相撲の女人禁制と同じだったんですね。もっとも、酒造りは体力が必要とされるため蔵人は男性ばかり、しかも半年も家族と離れて仕事をする出稼者の集団。そんな中に女性が入るという事がどういうことか……というのが実質的な理由だったみたいですけど(現在は女性杜氏も誕生しています)。
それにしても、宗教や神話において、たいてい女が悪者というか愚か者という扱いをされているのはどうしてなんでしょうね。キリスト教で蛇にそそのかされて禁断の実を食べ、人間に「罪」をもたらしたのも、ギリシャ神話でパンドラの箱を開けてこの世にあらゆる悪をバラまいたのも女性となっている。なんでなのかしら。