過去ログ一覧前回次回


2002年02月04日(月) 自意識過剰

ひどくつまらないことが気になってしまうときがある。
こういうシーンを思い浮かべてほしい。あなたは友人と喫茶店で雑談している。
「あはははは」
「でね、夫が私にこう言うわけ……」
あなたがまさにこれから話の核心に触れようとしたそのとき。間の悪いことに、テーブルの上に置かれた友人の携帯が歌いだす。
「あ、ちょっとごめん」と彼女は言い、電話に出る。その間、あなたはメニューを眺めたりストローの袋で人形を作ったりして退屈そうに見えないよう気を遣いながら時間を潰す。しばらくして、電話が終わる。
「ごめんごめん。彼からだったんだけど、なんか週末に仕事が入ったみたいで予定を変更してほしいって」
そう言いながら彼女はバッグからシステム手帳を取り出すと、スケジュールをチェックしはじめた。
こういうシチュエーションに出くわすと、私は心中穏やかでいられない。電話は終わった。「さて、どうやって話を戻そうか」を考えあぐねるからだ。
こういうとき、私は自分から「で、さっきの話のつづきだけどね」と切りだすのは気が進まない。いかにも「電話が終わるのを待ってました!」「聞いて聞いて」という感じがして、なんとなくはずかしい。私としては、相手から「で、さっきの続きは?」と促され、さもそれで思い出したかのように「そうそう、それでね」「えっと、どこまで話したっけ」というふうに話を再開するというのが理想なのである。やっぱり“乞われて”話したいではないか。
しかし、熱心に手帳とにらめっこをしている彼女は私の話が途中だったことなどすっかり忘れているかのようだ。
「いまいち興味がないから、あえて話に触れないのかな。だったらここで私が強引に話を戻すのはしゃくだなあ」
私は氷をガリガリ噛み砕きながら、そんなことを考えたりする。
もしここで、あなたが無言のひとときに耐えられず、「休日出勤?彼も忙しいのね。じゃあデートはお流れになりそう?」などと相手の話に合いの手を入れたなら、ほぼ百%の確率で話は戻ってこないだろう。
「もうガッカリ。映画観ようって言ってたのに。彼があれ観たいんだって、えーと、『オーシャンズ11』。でも、私ジュリア・ロバーツ好きじゃないんだよね。ま、ジョージ・クルーニーが渋いからいいけど。小町は最近なんか観た?」
という具合に、会話は次なる話題へ完全に旅立っていくのである。
こんな話をすると、「そんなこと考えたこともなかったワ」と言う人がたくさんいるのだろう。われながら、つまらないことを考えるものだと苦笑してしまう。
けれども、私が聞く側のときに「で?」とつづきをうながすと相手の表情がパッと明るくなり、かなりうれしそうに話しはじめるように見えるのは気のせいではないと思う。
先日とある場所で、「なぜ本にカバーをかけるのか」の話題が盛りあがっていたのだが、その中に、

「自分はこういう本を読んでいるんだってのを人に知られるのがすごくイヤ」よりも、「自分はこういう本を読んでいるってことをみんなに知ってほしがってるようなやつだと思われることがイヤ」


という意見を見つけて、笑ってしまった。私がカバーをかけてもらうのは「本が汚れるのがイヤ」以外の理由はないのだが、世の中にはそこまで考えてカバーを求める人もいたのかと。
インターネットの中では人のさまざまな「自意識過剰」に出会うことができる。誰もが共通して持っているようなメジャーな自意識ではなく、言われてはじめて「へえ、なるほど」「そういう考え方もあったのね」と思えるようなこと。
私の「中断された話をスマートに戻したい」もかなりマイノリティな自意識のひとつなんだろうな。

【あとがき】
相手が夫や親しい友人なら、たとえ耳をふさがれても「ちょっと、人の話聞きなさいよー」と無理やり話を戻すけれど、そこまでの関係でない場合、ひそかに考えてしまいます。相手からつづきを促されないかぎり、やめてしまうこともけっこうあります。わざわざ自分から話を戻すほどの「聞かせる価値のある話」でないのが大きな理由ですけどね。