うちの雛さん
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2006年11月21日(火) 帰ってまいりました

本当は土曜日の深夜に帰宅をしたのですが、疲れがひどく、
ご心配をおかけした皆さまには申しわけないと思いつつも、
今日まで日記を書くことができませんでした。

事故を起こした身内は命に別状はなかったものの、
頭と肩をひどく打ち、集中治療室の中でたくさんの管に
つながれていました。意識はあるものの話す言葉は的を得ず、
会話をすると言うよりは単語を羅列することで精一杯な様子でした。
面会時間も一時間以内と制限されており、重症であることは確か
なのですが、一番危なかった山は越えたらしく、
今後は手術はせずに経過を見つつ、治療をしていくことになりました。



    「やっと帰ってこれた〜」


一緒に連れて行かれた雛さんは、緊張の連続でもうへとへと。
移動中など特に騒ぎ立てるような事はありませんでしたが、
不安で不安でしょうがない様子でした。ごめんね。ゆっくりしてね。



    「もう、どこにも行かないからね!」


わかってるよ〜家でぬくぬくが一番だもんね。一緒一緒。





【お知らせ】
しばらくの間、日記を書くことができないかもしれません。
メールや掲示板の返信も滞るかもしれません。
復帰の目途は私にもわかりません。明日かも一ヵ月後かも。
今の私はひどく混乱をしていて、確かなことが何も決められません。
日記を楽しみにしてくださっている皆さまには、本当に申しわけなく
思っています。ごめんなさい。私にすこし時間を下さい。

この日記を書き始めた頃に、私には頼れる身内はいないと書きました。
けれども今回事故を起こした「身内」とは、私の母親のことなのです。
チューブまみれの手を差し出して「来てくれてよかった」と
「ありがとう」と、弱々しく呟いたのは、私を産んで育てた実の母。

私は連鎖虐待のなれの果てのような家庭の中で育ちました。
皆が不幸で辛く苦しく、それぞれが被害者でありながら同時に加害者
でもあるような家族でした。今は誰のことも恨んではいません。
けれども複雑な連鎖の根は今も、私の心に深い傷を残しています。

若旦那と三年半も一緒に暮らしながら、結婚をしなかったのも
それらの事情があったためなのですが、その説明しようとすると
どうしてもこの場がダークな気配に支配されてしまいます。
お気楽極楽な雛さんとの日常を綴るために設けた場所で
このような話をすることは本意ではありませんし、
またお気楽極楽な雛さんを楽しみにしてくださっている皆さまにも
申し訳がないので、後日若旦那に別枠を設けてもらって説明をするか、
このまま何も書かずに当面お休みをするか、少し考えたいと思います。



【おまけ】

    雛さんの頑張りの証


mariko |MAILHomePage

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