もうちゃ箱主人の日記
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| 2010年06月05日(土) |
ケネディの『 勇気ある人々』 |
鳩山辞任、、の中で この本のことを思い出している。
ケネディという名が輝きをもって受け取られていた 幸福な時代の遺産というべきか。
@勇気ある人々 ジョン・F・ケネディ (著), 宮本 喜一 (翻訳) : 392ページ: 英治出版 (2008/1/10)
>内容紹介 だれの人生にも、自分自身の“勇気”を問われる瞬間がある。 ――ジョン・F・ケネディの伝説的名著、待望の復刊!
政治は一つの舞台に過ぎない。どんな人生であろうと、われわれは皆、ある時、自分の勇気を問われる瞬間に向き合うことになる。そのとき人は何を思い、何を守り、何を賭けて行動するのか。本書に登場する人々の、夢と幻滅、栄光と挫折、称賛、非難、妥協、苦渋の決断など、それぞれの生きざまから、われわれは何を学ぶべきなのか。ジョン・F・ケネディが、当時そして未来の読者に向けて、渾身の力をこめて書きのこした情熱と気迫の人間論。
(本文からの抜粋) 本書で私は彼らの人生を、つまり、彼らが命をかけた理想や守り抜こうとした主義主張、彼らの美徳、罪、夢と幻滅、受けた称賛、耐え抜いた誹謗中傷などを、的確に紹介しようと努めた。……彼らの人生にはどれも、……地元の人々の心を動かし、この国のあらゆる地域に住むあらゆる市民の人生を豊かにしてくれる何かがあったのだ。
自分の利益、そして自分の選挙区のことしか考えない政治家と、 国や国民のことを考え、たとえ自分の選挙区の人々から反対されようとも、自分の信念に従った行動を貫く政治家の違い。それは、真の勇気をその政治家が持っているかどうかである。 これが本書で、著者ジョン・F・ケネディが、読者に言いたかったことであろう。
時に、勇気ある行為は、世間には反逆のように映る。 が、それは真理にもとづく反逆であり、それは真理の頂を目指す、孤独な戦いに耐えうる者のみに 許される気高い行為である。
”著者 前書き” 「私は上院に入るずっと前、ジョン・クインシー・アダムズ、ならびに彼と連邦党との相克に関する記録を読んで以来、選挙民の圧力に直面する政治的勇気の問題、ならびに過去の政治家の伝記によってこれらの問題を明らかにすることに興味を抱いてきた。1954年、背骨の手術に続く長い入院と静養の期間、初めてこの計画に必要な読書と研究の機会を得た。(中略)妻ジャクリーヌの激励と援助と批評なしには、本書は生まれなかった。」
「勇気ある人々」は第六代大統領ジョン・クインシー・アダムズほか下記八名の「勇気ある行為」 を述べている。
ジョン・アダムズ・・二代大統領アダムズの息子、言論の自由の擁護者としてまた奴隷制度の拡大に 反対した。 ダニエル・ウエブスター・・ ダートマス裁判で母校の弁護人を務めた強硬漢の上院議員。 史上最高の雄弁家と言われ連邦政府権限の強化を叫んだが、1852年の大統領選挙で民主党の フランクリン・ピアスに敗れた トーマス・ベントン・・ 国立銀行問題で硬貨論を唱えて紙幣制度に反対した上院議員 サム・ヒューストン・・ テキサスが併合される前のテキサス共和国初代大統領。 テキサス州知事、上院議員。強力な連邦論者 エドモンド・ロス・・ 奴隷反対論者で南北戦争の勇者。 カンサス州知事選挙で敗北後、ニュー・メキシコ総督,腐敗と戦ったため失脚 ルシアス・ラマー・・ ミシシピー州出身下院議員。南北戦争では南部連合のために働く ジョージ・ノリス・・ 共和党急進派からルーズベルトのニュー・ディール政策を支持。 ロバート・タフト・・ 共和党保守派の総帥、党大会でアイゼンハワーとの指名争いに敗北
のちに「ケネディ語録」に収録された「勇気ある人々」の中の言葉のいくつか。
「兄弟同士が戦った南北戦争で、砲火の下の勇気を判断するうえで、どちらの側で戦ったかなど 問題ではない」 「過去において、勇気の本質を忘れた国民は、今日、選ばれた指導者に勇気を要求するとは 思えない。また、勇気ある指導者に報いるような国民でもない」 「国民が政治的勇気を妨げ、政治家に良心の放棄を強要している恐るべき圧力は、安易な道を 選ぶ者には寛大である」 「勇気ある者でなければ、強力な敵との戦いにおいて、生き抜くために必要な、困難にして不人気な 決定などできない」 「勇気ある者でなければ、アメリカを生み、この国の幼年期を育て苦しい試練を通じてこの国を成年に 育てあげてきた個人主義と独立精神を、胸に燃やし続けることはできない」 「議員の責務が有権者の衝動に束縛されることを否定する者こそ、民衆の英知を信用するもので ある」 「勇気の意味は、政治活動と同じく誤解されやすい」 「真の民主主義とは、その主義に対する貢献のために不人気な方向をたどった人物を非難しない だけでなく、その勇気に報い、高潔さを尊敬し、最後に正しさを認める信念を植え付けることである」 「勇気と良心の問題は、アメリカの官吏と公人格の地位の上下にかかわらず、官公吏にかかわる 問題点である」 「勇気によって死んだ人々を軽んじることなく、勇気をもって生きた人々の行為も忘れてはならない。 勇気ある人生は、最後の瞬間の勇気ほど劇的なめざましさはない。 にもかかわらず、そこに、壮大な勝利と悲劇が同居していることには変わりはない」
さらに・・・・・・・
「政治は、勇気に特殊な試練の土俵を提供するに過ぎない。 人生のどの領域でも勇気の試練に遭遇するものだが、良心に従えば、直面する犠牲が何であろう とも、友人や財産を失い、仲間の尊敬さえ失っても、進むべき道を決断しなければならない」
下記を参考にしました。 http://www.maedafamily.com/denki/11.htm
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もうちゃ箱主人
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