もうちゃ箱主人の日記
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| 2009年04月21日(火) |
最高の悪口! (もしこの存在が、忘れ去られるならば…) |
19世紀の紳士(司祭さま)が 述べると、 悪口もかく高尚になるという見本の1つ。
セシリア運動の主唱者ヴィットが ハイドンの Mariazellmesse を 評して言ったコトバから… (最後の行など ものすご〜く、苦心して 訳しました……(^^;))
Im gegensatz zu den übrigen Meßkompositionen hält Witt diese Messe des "umsterblichen Meisters " für schwach.
Jeder Komponist sollte jedoch nach seinen stärksten Werken beurteilt werden; jeder habe auch Stücke aufzuweisen, die nicht zu seinem Ruhm beitragen. "Es ist also keine Unehrbietigkeit, diese Messe von J. Haydn einfach abzuweisen." Große Teile beinhalten geistreiche Spielerein mit "längst verbrauchten, Melodien, Arien, Figuren etc." Trotz kleiner Besetzung ist sie nicht kurz und auch nicht leicht ausführbar. Gerate sie in Vergesssenheit, so dürfte sie am "besten aufgehoben" sein. (Lickleder p.209)
ヴィットは、「不滅の巨匠」の、このミサ曲を、 その他のミサ作品とは対照的に schwach(不出来)なもの(=駄作)とみなしている。
作曲家はみな、その優れた作品を基にして 評価されるべきであるけれども 名誉とならない作品(駄作)も、存在する。
「このJ. ハイドンのミサ曲が、 ハナから拒絶されていることは、 そんなに不名誉なことではない」
多くの部分が、「使い古された陳腐な、メロディやアリア、音型など」 からなる、〔一応は〕才知あふれた遊びという内容である。
小さな編成にもかかわらず、短かくはなく、しかも演奏は そう容易ではない。
もしこの曲〔の存在〕が、忘れ去られるならば、 それは〔この曲にとって〕 「最も喜ばしいこと」と言うべきであろう。 (*直訳:もし、忘却状態に陥るならば、 それは「最上の保存、処遇」と言うべきであろう。)
・・・・ (解説) 要約すると 「この曲は、なかったものと、みなされるのが、一番だ」
何て悲しい、 ひどい言い方 なんでしょうね、 あんまりだ…… (涙!)
この文を読んで、 このミサ曲を聴いてみたくなった人、いるかぁい??? いるかぁい??? いるかぁい??? いるかぁい??? (← しつこい!)
やっぱり、私だけかな? (中サン、どうっすか??)
もうちゃ箱主人
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