もうちゃ箱主人の日記
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| 2008年12月05日(金) |
れくいえむ について |
今日は、モーツァルトさんの「命日」 ということで、例年だと 《レクイエム》のCDを聴くのだが 今年は、研究の都合もあって 既に何回か聴いちゃった。 (因みに、《レクイエム》やト短調シンフォニーは 原則として、年1回しか聴かない主義、キッパリ!)
そこで、駄文を少々…
題して、 ---修論で《レクイエム》と《ハ短調ミサ曲》を取り上げない理由
モーツァルトの教会音楽といえば、 《レクイエム》と《ハ短調ミサ曲》の 両傑作を抜きに語れないのだが、修論では 次の理由により、両作について取り上げないことにした。
1.《ハ短調ミサ曲》については、未完の作品ということから 19世紀には、実際の演奏の機会が少なかったらしい。
2.《レクイエム》については、19世紀でも、人気が高く、 楽譜も多く出版されているが、その人気は音楽面もさることながら、 ホフマンら初期ロマン主義者の文筆に負う面が多かったほか、 「白鳥の歌」説や、「謎の使者」のエピソード等、音楽以外の要素 によるものも多い。 つまり、ある意味で、「キャノン(正典)化」したといえるので、 他の教会音楽作品とこの点で、受容状況に一線を画くしている。
(注:キャノン(正典)というのは、主に英米系の文学批評で使われる 概念で、定義も人により細部は異なるようだが、ここでは ーーーーーーー(長いので省略)という意味で使用する)
3.以上の理由からか、セシリア主義者の、この両作品についての、 批判は、少ないようである。 ヴィットも、「モーツァルトの教会音楽」というエッセイ内で 触れている程度。 <以下 略>
* 上記に関連して、下記もご参照ください。 http://www.enpitu.ne.jp/usr10/bin/month?id=103099&pg=200809
もうちゃ箱主人
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