もうちゃ箱主人の日記
DiaryINDEX|past|will
| 2008年12月02日(火) |
オペラの演出について (1) |
オペラの演出についてしゃべり出すと、 時間がいくらあっても足りないわけでぇ 今、そんなことを論じてるヒマは、ぜ〜んぜんないはずなんですが そういう時に限ってしゃべりたくなる……(^^;) 困ったもんですなぁ。
というわけで ちょっとだけ お付き合いくださいね……(^^;) (因みに、<その1>としたが、<その2>を いつ掲載できるかはわからな〜いので、 そこんとこよろしくお願いします。)
伝統的な演出というものを、 どう捉えるかということについて2つの例を。

例えば、これは↑、ノリントンのCDジャケットだが この『夜の女王』のシーンの原型が 19世紀初めのシンケルのスケッチ画にあることは みなさんご存じの通り。
ある意味では、我々の持つ《魔笛》のイメージは この1810年代のシンケルに由来するものといってよいほど。 いわば、モーツァルトとは関係ないといってよい。 (言い換えれば、我々の《魔笛》解釈は いまだにシンケルの呪縛下にある、ということか それほど優れた解釈といえばそうかもしれないが…)
これを、伝統的というのだろうか。 「モーツァルト時代に帰れ」をモットーとする ピリオド楽器派は、どう考えるのか。 (ついでながら 演奏では昔を志向するピリオド楽器派の演奏が しばしば、新解釈演出と共に上演されるというのも 皮肉なことである)
もう1つ考えたいのは ベートーヴェンの歌劇《フィデリオ》について 現在、このオペラの演出で ナチスを連想させないものは、殆どないといってよい のではないだろうか。 (過去には、暴走族やギャングの世界に移したものも あったようだが、すたれて、近年の演出では ナチスのイメージ満載と思える)
そして、これは今日 《フィデリオ》のイメージを固定しつつある。 《フィデリオ》=反権力、反ナチス…
反ナチスは結構なんだが、これがいかにも皮相で軽薄に描かれるのが 多いのが、見ていてとっても不愉快になるんだなぁ… (これは、ドン・ジョヴァの舞台を9・11テロ後に置き換えた 例のアモン演出にも共通することなんだが… )
……
まとまらなくて恐縮だが 何が言いたいかというと 伝統的演出を、どこまでさかのぼるか どこに求めるか? ということ。
続きは、また、折りをみてということで 失礼します……(^^;)
もうちゃ箱主人
|