もうちゃ箱主人の日記
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70年代を思い返す際に 必ず登場する方です。
もちろん、私はトーダイで大変お世話になりました。 わけではなくてぇ……(^^;) テレビでおみかけしただけですが…
庄司薫の『赤ずきんちゃん、気をつけて』に 大きな体をかがめてルノーに乗り込む姿のほほえましさが 描かれていて印象的だった。
加藤氏はなによりも我妻センセイの後継者格として ソンケイされていた。 我妻・「民法講義」の未完に終わった「不法行為、不当利得」編は 有斐閣・法律学全集の加藤氏の巻で代えるというのが 当時の法律学名著の常識であった。
晩年の加藤氏の闘病エピソードは、いろいろな場で 語られていた。 たしか脳梗塞にガンと大変だったようだ。
一度、小澤征爾が振った新日フィルのコンサート会場 (Bunnkamura)で、お姿を、おみかけしたことがある。 当時、既に足が御不自由で、2階から降りるのに往生されていらしたのを 遠くからお見かけした。 (近くだったら、お助けしましたよ、 大柄な方だから、私じゃ役に立てなかったかも……(^^;))
ご冥福をお祈り申し上げます。
Y紙の訃報記事に、「学長」という表示がみえるが 当時は、「総長」だったと思う。 キッパリ!
・・・・・ 元東大総長の加藤一郎さん死去 「東大紛争」で総長代行 2008年11月11日18時28分
東京大学総長代行や総長として「東大紛争」の収拾にあたり、 その後、政府の審議会委員などを務めた加藤一郎さんが 11日午前8時48分、肺炎のため、死去した。86歳だった。 《中略》 東京都生まれ。東大法学部を卒業後、57年東大教授に。 68年に東大紛争の事態収拾に失敗した前執行部の退陣を受けて 総長代行となった。 学生の主張に耳を傾ける一方で、 69年1月、安田講堂に立てこもる全学共闘会議(全共闘)の学生を 機動隊によって排除した。この影響もあり、東大入試は中止された。
同年4月、46歳で総長になった。 紛争は収まったが、関係者から、学内の改革機運が遠のいたとも評される。その後、国連大学副学長などを経て、小学校から旧制高校まで学んだ母校・成城学園の学園長となった。
専門は民法の不法行為論。 主な著書に「不法行為法の研究」「図説家族法」などがある。
行政や公的機関の審議会や研究会の委員を歴任したほか、 日本医師会の生命倫理懇談会では座長となり、88年に「心臓死のほかに、脳の死をもって人間の個体死と認めてよい」とする最終報告書をまとめた。 《中略》 また法制審議会民法部会で部会長を務め、同部会は96年、 選択的夫婦別姓制度の導入や、裁判上の離婚原因に5年以上の別居を 設けることなどを柱とする民法改正案の要綱案をまとめた。
小宮山洋子・民主党衆院議員は長女。
http://www.asahi.com/obituaries/update/1111/TKY200811110249.html
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元東大学長の加藤一郎氏死去…東大紛争で収拾役を担う
東大紛争(1968〜69年)の収拾に当たった、 元東大学長の加藤一郎氏が11日午前8時48分、肺炎のため死去した。 86歳だった。 《中略》 民主党の小宮山洋子衆院議員は長女。
「逃げ隠れせず、堂々と」。学長代行として荒れるキャンパスで 学生らの説得に回ったが、「安田講堂事件」(69年)では、 機動隊の学内投入を決断。講堂に立てこもる学生らは排除された。 その後、4年間学長を務め、大学の正常化に取り組んだ。 全共闘の元学生らが90年代に出版した書籍には、 「全共闘の学生は、ある意味で純粋で、純真だったともいえよう」との 一文を寄せた。
弁護士でもあり、専門は民法。 医療などにも視野を広げ、日本医師会「生命倫理懇談会」の座長として、 脳死、臓器移植容認の最終報告をまとめた。 87年に紫綬褒章、96年に勲一等瑞宝章を受章した。 《後略》
(2008年11月11日19時52分 読売新聞) http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20081111-OYT1T00482.htm
もうちゃ箱主人
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