もうちゃ箱主人の日記
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| 2008年10月29日(水) |
三位一体ミサ(KV167) |
昨日のゼミで、ある人(他学校生)が 三位一体ミサ(KV167)と、ロ短調ミサ曲の 音楽と言語(歌詞)についての比較という発表を行った。
ちょうどいい機会なので 私も、KV 167を聞き直してみた。 周知のように、合唱のみでソロがないこともあって これまであまり注目して聴くことがなかった。
ちゃんと聴いてみると さすがモーツァルト、いい曲ですね。 因みに、セシリア主義者ヴィットのこの曲の評価は 「荘厳ではあるが、 他に演奏する曲がない時に、演奏すればよい(程度の曲)」 ↑ひっどいこと言うねえ!
さて、詳しく書くわけにはいかないが少しだけ。 発表者は、KV 167について、 credoの中のdescendit、Crucifixus、et ascendit、et mortuos の 音型について、特にet mortuosのFis-A-C-Es(減七の和音)に着目して 発言していたが、音楽修辞学に関わることだから そう目新しい知見とは言い難い。
私が、注目したいのは credoであれば、やはり Et incarnatus estである。 前曲の完全終止を受けて、テンポと調性を替えて始まるのは、 なんと、モーツァルトの宿命の調と言われるト短調である。 (あまり思い入れし過ぎるのもよくないんだが… (^^;))
しかし、ト短調に「死」のイメージを見るならば むしろ、Crucifixusの方が、よりふさわしい。 (そういう意味では、この箇所は調性格論をふまえた アフェクテンレーレ(情念論)と考えるべきでは、と先生に質問 したところ、一概にそう断定すべきではないと諭された)
ここで、プロテスタントであるバッハの Et incarnatus est観、Crucifixus観との比較が 意味を帯びてくるんじゃないか、なとの感想を持った。 (発表者は、それには言及していなかった)
まあ、他人の発表内容には いろいろ気づくんだがねぇ… (^^;)
もうちゃ箱主人
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