もうちゃ箱主人の日記
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2008年09月21日(日) 恋愛哲学者 モーツァルト





3月の出版だから、いささか遅くなったが
この夏、どうにか読み通した。
近来にない好著と思う。

名刺交換したぐらいの知己に過ぎないが
ちゃんとした評をするには
時間がないため
三浦雅士氏のすばらしい書評を
ご紹介することで替えたい。

(なお、丸谷才一氏の書評が下記毎日新聞のWebにあります。
  これも必見です。
http://mainichi.jp/enta/book/hondana/archive/news/2008/06/20080601ddm015070024000c.html  )


 『恋愛哲学者モーツァルト』=岡田暁生・著
   (新潮選書  1155円) 


*****
@ 新潮社Webから

十八世紀の大小説家、発見! 
   三浦雅士

 昨年九月末、ベルリン国立歌劇場の来日公演
『ドン・ジョヴァンニ』を見て、
あらためてモーツァルトについて考えなければならないと思った。
バレンボイムの指揮が凄かった。
二つのフィナーレを圧倒的に際立たせるもので、
ベートーヴェンはドン・ジョヴァンニの地獄落ちから始まったと
思わせられた。
その後に続く六重唱、いわゆるフィナーレは、いかにも軽い。
『ドン・ジョヴァンニ』は何度も見ているが、その対照をこれほど強く感じさせられたことは、いまとなっては恥ずかしいが、
およそなかったのである。

 いまとなってはと言うのは、岡田暁生の『恋愛哲学者モーツァルト』を読んだいまとなっては、である。

これは名著である。

ソロモンの『モーツァルト』を読んだ時にも驚いたが、
今回はもっと驚いた。
どちらもきれいに納得させられたのだが、
ソロモンのほうは、神童モーツァルトなんて嘘っぱち、
本当は俗人の父親を庇い続けたモーツァルトのほうがよっぽど大人だったというもので、
さてそれではどこが大人だったのかまでは、少なくとも作品を通しては、
腑に落ちさせてはくれなかった。それが今回、腑に落ちたのである。

 簡単に言えば、モーツァルトのことを、
『後宮からの逃走』『フィガロの結婚』『ドン・ジョヴァンニ』
『コシ・ファン・トゥッテ』『魔笛』という五つの小説を連作として書いた小説家だと思え、というのである。

原作もあれば台本作者もいるわけだが、そんなの関係ない。
ほんとうにそれを書いたのはモーツァルトで、その読み方は音楽を聴けば分かるというのである。

 言われてみればその通り。
この五大オペラ――と岡田暁生は強調する――、確かに続き物である。
基本設定が似ていて、みな前作の後日譚。
しかも、モーツァルトは一作ごとに人間とその社会について驚くほどに理解を深めている。
なぜいままで気がつかなかったのだろうと思うほどだ。
これを音楽の代わりに言葉で成し遂げたとすれば、
モーツァルトがゲーテを凌駕する大作家であることは間違いない。

十八世紀の貴族社会から十九世紀の市民社会への転換期を見事に描いた文豪。
夭折の天才ではない、成熟した大人の天才である。

 その大人たる所以を示すのが全作に共通する二つのフィナーレ。
市民社会への転向を意味する『魔笛』においてさえも、モーツァルトは
「これまでよりもずっと控え目なやり方ではあるが、完全なるフィナーレ
のカタルシスを最後になって軽くまぜっかえす」のである。
たいへんな大人です。

 岡田暁生の他の著作もそうだが、楽譜など一箇所も引いていないのに、
音がびんびん聞こえてくるのが嬉しい。
指摘が的確なために、記憶が簡単に蘇えるのだ。
おまけにその手助けに他の曲が引かれもする。
たとえば『ドン・ジョヴァンニ』の序曲のためにマーラー六番のフィナーレ。
 モーツァルト好きがさらに昂じそうな一冊だ。
(みうら・まさし 文芸評論家)
  >波 2008年4月号より
http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/603600.html


もうちゃ箱主人