もうちゃ箱主人の日記
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2007年12月10日(月) ゴシックとは何か

先週聴講したある授業で教えて頂いて読んだが
大変な名著と思った。
(あとで知ったが、2000年のサントリー学芸賞授賞というから
 今さら私などが騒ぐのはおこがましい次第… (^^;))

酒井 健 (さかい たけし)
『ゴシックとは何か――大聖堂の精神史』(講談社)
1954年、東京生まれ。
東京大学大学院フランス文学研究科博士課程修了。
電気通信大学人文社会科学系列助教授などを経て、
現在、法政大学第一教養部教授。
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☆ サントリーのHPから
http://www.suntory.co.jp/sfnd/gakugei/si_reki0046.html

 歴史研究においてもファースト・インプレッションがいかに重要かを
教えてくれる小さな名著である。

 留学中の冬のフランスでボーヴェのサン・ピエール大聖堂と対面した著者はこんな印象をいだく。
「北方の暗い空を背景にそそり立つおどろおどろしい大建築物。もの言いたげに迫ってくる不吉な巨体。ゴシック様式の大聖堂が私の心に最初に食い入ったときの印象である。この印象とともに私は、ゴシックを見た、という思いにはじめて襲われたのだった。」
 ではなぜ、このファースト・インプレッションが大切なのか?異教徒としてゴシック大聖堂に接したときの、崇高で、かつおどろおどろしいという印象が、ゴシック大聖堂の建立を必要とするに至った中世の農民たちの心性を想像するのに大いに役立ったからである。

 紀元11世紀の北フランス。鬱蒼たる森に覆われた大自然の中で暮らす農民のほとんどはケルトやゲルマンの森の大母神を信ずる異教徒だった。
やがて、森を恐れないシトー会修道院の大開墾運動が始まると、森林はどんどん伐採されて農地が拡大し、食料事情は好転したが、それは逆に過剰な人口増加をもたらしたため、余剰人口は都市に集まった。根無し草となった彼らは失われた森の代理物を求めるようになる。ここで生まれたのが、聖母マリア信仰に基づく大聖堂の建立だった。というのも、マリア信仰と大聖堂の建立は、じつは民衆の地母神崇拝と森への畏怖をキリスト教的に解釈し直すことで、自分たちの権威を強化しようと考えたカトリック教会と国王が生み出した表象的代理物にほかならなかったからである。ゴシック大聖堂の地下を掘ってゆくとケルト信仰の聖所に行き当たるし、聖堂の内部は、失われた聖なる森のイメージで作られていて、異教徒だった農民の信仰心を呼び起こすのに役立ったのである。
 ゴシックの聖堂の登場と同時に、その中に収められたキリスト像のイメージも変わる。元 気のいい
「勝利のキリスト」から、脇腹から血をしたたらせる「苦悩のキリスト」にイエス像は変容を遂げる。「苦悩のキリスト」は、大地母神に生け贄を捧げたケルト人にとっては、神に捧げられた犠牲であり、彼らはキリストの苦悶に自分たちの苦しみを重ね合せることで、 魂の救済が可能になると感じたの
である。
 このように出発点で得た「おどろおどろしさ」と「崇高さ」というおのれの印象を手掛かりにゴシック大聖堂を考察したことが、論稿全体に一貫するテーマを与えることになる。すなわち、その後、ルネッサンスと宗教改革でゴシック建築が否定されたことも、また18世紀末から、イギリスやドイツでゴシックが復活し、ロマン主義を準備したのも、キリスト教 の中に吸収された異教的な恐怖と崇高さの原理から説明できるからである。
 ゴシック建築を美術の様式としてではなく、歴史・社会・文化のコンテクストから考察するという野心的試みに著者は見事に成功している。

鹿島 茂(共立女子大学教授)評
(所属・役職は受賞時のもの、敬称略)

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☆ (Amazonの解説より)

>大聖堂はなぜ建てられたのか──過疎化の極にあり不活性の底に沈んでいた都市を興隆させたのは、農村からの移住者たちだった。……だがその彼らには聖性の体験の場が欠如していた。食糧難に苦しむ農民たちは、大開墾運動の流れにのって、やむなく、崇拝する巨木の森林を滅ぼしていった。都市において、失った巨木の聖林への思いは強く、母なる大地への憧憬を募らせるばかりだった。
 巨木の森と母なる大地にもう一度まみえたい。深い左極の聖性のなかで自分たち相互の、自分と自然との連帯を見出したい。このような宗教的感情を新都市住民が強く持っていたことにゴシック大聖堂の誕生の原因は求められる。
 他方で、裁きの神イエスの脅威も彼らに強力に作用していた。最後の審判で問われる罪は贖(あがな)っておかねばならない。免罪を求めて彼らは惜しみなく献金をした。また、天国行きを執り成してくれるマリアに聖所を築いて捧げる必要性、いや強迫観念にも彼ら新都市住民は駆られていた。
 だがゴシックの大聖堂が建った理由はこれだけではない。別な動機からその建設を望んでいた者たちがいた。大聖堂の主である司教、そして国王は、自分たちの権威の象徴として巨大な伽藍の建設を欲していた。…


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