もうちゃ箱主人の日記
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2007年07月06日(金) ニシワキ詩とオノマトペ

ニシワキ詩を読む時、最大の魅力の1つが
オノマトペ(擬音)であろう。
(同時に、それが原因で
  躓く人も多いかもしれない… (^^;))

後期の詩に頻出するものに
ポポイ や パパイ とか
セサランセサラン とか
ピヒョークサイ などがある。

意味のない不思議な音のもたらす不思議な効果。
これに酔えないと、ニシワキの詩界には、入れない。

セキ・フジコさんという方が
いくつか作品からの例をあげておられるので引用すると
(http://www.interq.or.jp/mars/ippo/rain1/roku.html)

>「ちょうど二時三分に/おばあさんはせきをした/ゴッホ」
   (『鹿門』)

「ミレーの霊も晩鐘に泣くかと思ふ」(『あむばりわりあ』)

「百姓が話をしているドーリアン語は/あまりにツァラトゥストラ的で/
 彼等の神話がききとれなく/キツツキの楡の木をたたく音と/
 あまり違わなかった/コツコツ コツコツコツ コツ」(『失われた時』)

「ぬれごとのぬめりのヴェニスのラスキン/の潮のいそぎんちやくのあわびの」   (『失われた時』)

「つれの浅草人はヘラヘラの/こいの皮を食べてシャラクを思つていた/
 シャラクのめとマラルメのめ」(『豊饒の女神』)

「ヴァリテボンテボッテ・・・/平地で鐘がなる」(『えてるにたす』)



せっかくなので、詩を1つ読みましょう。^o^

下記の詩の中でオノマトペは
「キリコ キリコ クレー クレー」である。
 それは、もちろん
 キリコの絵の輪を回す少女の影や、クレーの色彩のメタファー(暗喩)
 でもあるのだが、同時にオノマトペの効果を持っている。
 「キリコ」という繰り返しは、木樵「キコリ」の音とも響き合っている。
  (しかし、昭和30年代には、木樵はいない! (笑))

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 六月の朝  西脇順三郎

ひじり坂と反対な山に
暗い庭が一つ残つている
誰かが何時種を播いたのか
コスモスかダリヤが咲く。
ヴェロッキオの背景に傾く。
イボタの繁みから女のせゝら笑いが
きこえてくる。
      よくみると
ニワトコにもムクの木にも実が
出てもう秋の日が悲しめる。
キリコ キリコ クレー クレー
枯れたモチの大木の上にあがつて
群馬から来た木樵が白いズボンをはいて
黄色い上着を着て上から下へと
切つているところだ キリコ
アーチの投影がうつる。 キリコ
バットを吸いながら首を動かして
切りつヾけている。
        おりてもらつて
二人は樹から樹へと皮の模様
をつたつて永遠のアーキタイプをさがした。
会話に終りたくない。
彼はまた四十五度にまがつている
古木へのぼつていつた。
手をかざして野ばらの実のようなペンキを塗つた
ガスタンクの向うにコーバルト色の
鯨をみたのか
      アナバースの中のように
海 海 海
群馬のアテネ人は叫んだ
彼のためにランチを用意した
ヤマメのてんぷらにマスカテルに
イチジクにコーヒーに
この朽ちた木とノコギリのために――。


『西脇順三郎詩集』岩波文庫より「第三の神話」


もうちゃ箱主人