もうちゃ箱主人の日記
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頂いたチケットで高島野十郎展へ。 (三鷹駅前ギャラリー) 徒歩で行けるところで、観られるなんて夢のよう! 妻は、以前 久世光彦氏のエッセイ集『怖い絵』で 高島野十郎の《蝋燭》の絵を知り、観るのを楽しみに していたという。
その絵だが、同じモチーフの絵、10枚を 小部屋のようにしつらえたコーナーで展示していた。 その空間だけ、ポッカリ別の世界のように感じられた。
それを観た後、《モーツァルトとオマージュ》の 出版記念パーティへ。
(美術館Webより) >>明治23(1890)年、福岡県久留米市の酒造家に生まれた高島野十郎 (たかしまやじゅうろう)は、東京帝国大学農科大学水産学科に学び、 首席で卒業。周囲の期待と嘱望された学究生活を投げ捨て、画家への道を 選びます。以来、約4年間の滞欧生活をはさんで東京、久留米に居を構え ながら主に個展を作品発表の場として画業を続けました。 70歳を超えた1961年(昭和36年)からは都内・青山を離れ、千葉県柏市の 田園のなかに質素なアトリエを建て、晴耕雨描とも言える生活を貫きました。 世俗的な成功や名誉とはほど遠い位置で制作を続け1975年(昭和50年)、 千葉県野田市の老人ホームで85歳の人生を閉じます。 野十郎は果実や花を題材にした卓上静物をはじめ、信州や武蔵野、 そして故郷の筑後地方や房総の風景を、いずれも写実的に、しかもきわめて 微細かつ克明に描き出しました。彼の絵の写実性は対象の単なる再現性を超え、 ときには対象の生命や息吹にまで至って独自な輝きを発露させていることです。 野十郎が静物画や風景画とともに描き続けてきたのが、火のともった蝋燭や月だ けを描いた作品群です。これらの不思議な作品には、見る人の眼をそらさない強 い求心力を感じさせるとともに、どこか宗教的感情を呼び起こしさえします。 そこには、彼が若い頃から関心を寄せていた仏教への深い含蓄が含まれていると 言われています。 「世の画壇と全く無縁になる事が小生の研究と精進です」と、彼はある手紙に 書いています。この真摯さは、なによりも「描くこと」への彼自身の執着のかた ちであり、それはまた「描くこと」のひとつの根源のかたちを、いまもわたした ちに教えてくれています。 彼の遺した作品は没後、ようやく広く知られるようになり、その透明感をたたえ た深い精神性と卓越した技量で、今日多くの人々を魅了し続けています。青年期 から絶筆「睡蓮」までの約100点の作品、資料で野十郎の世界をご紹介します。 http://mitaka.jpn.org/calender/gallery/
もうちゃ箱主人
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