もうちゃ箱主人の日記
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S先生に頂いたチケットで、 竹橋 「藤田嗣治展」に。
感想は後日ブログの方へ…
>生誕120年 藤田嗣治展 パリを魅了した異邦人 2006年3月28日(火)〜5月21日(日) 今、明かされる伝説の画家のすべて 2006(平成18)年は藤田嗣治の生誕120年にあたります。 これを記念して、その全画業を紹介する展覧会を はじめて開催します。
藤田嗣治(レオナール・フジタ)は、東京美術学校を卒業後、 フランスに渡り、モディリアニらとともにエコール・ド・パリ の代表的画家として活躍しました。 とりわけ、裸婦に代表される“乳白色の肌”の美しさは、 多くの人々の心をとらえてきました。 その後中南米を旅行して日本に帰国しますが、第二次大戦後は フランスに戻り、やがて帰化して、再び日本の土を踏むことは ありませんでした。
これまで何度か開催されてきた藤田嗣治展は、その画業の 全体像を示すには、必ずしも十分とはいえませんでした。 また、その波乱に満ちた生涯ゆえに、数々の逸話による伝説と しての藤田像が、画家としての評価をおいて、一人歩きして しまった感もあります。
この展覧会は、パリ時代から晩年にいたるまでの代表作約100点を、 フランスやベルギーを加えた国内外から集めて展示します。 日本初公開作品約20点を含めた作品を通して、あくまで一人の 芸術家としての藤田嗣治の全貌を探り、伝説ではない、あらたな 藤田像を見出そうとするものです。 <内容> 第1章 エコール・ド・パリの時代 第2章 中南米そして日本 第3章 ふたたびパリへ http://www.nikkei-events.jp/art/fujita.html
>略年表 1886年 東京に生まれる。 1910年 東京美術学校西洋画科本科を卒業。 1913年 フランスに渡る。 ピカソ、モディリアニ、スーチンらと知り合う。 1917年 パリの画廊で初の個展を開催。 1919年 サロンに初入選し、会員に推挙される。 1931−33年 ブラジル、アルゼンチン、ペルー、 ボリビアを訪ね、メキシコを経由してアメリカに入る。 1933年 日本に帰国。 1934年 二科会会員となる。 戦時中、従軍画家として活躍。 1949年 ニューヨークのブルックリン美術館に招かれる。 1950年 パリに移る。 1955年 フランス国籍を取得。 1959年 カトリックの洗礼を受ける。 1966年 ランスのノートル=ダム・ド・ラペ礼拝堂の フレスコ画を制作する。 1968年 チューリッヒの州立病院で死去、81歳。
もうちゃ箱主人
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