もうちゃ箱主人の日記
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2006年05月11日(木) フジタ展

S先生に頂いたチケットで、
 竹橋 「藤田嗣治展」に。

感想は後日ブログの方へ…


>生誕120年 藤田嗣治展 パリを魅了した異邦人
2006年3月28日(火)〜5月21日(日)
  今、明かされる伝説の画家のすべて
2006(平成18)年は藤田嗣治の生誕120年にあたります。
これを記念して、その全画業を紹介する展覧会を
はじめて開催します。

藤田嗣治(レオナール・フジタ)は、東京美術学校を卒業後、
フランスに渡り、モディリアニらとともにエコール・ド・パリ
の代表的画家として活躍しました。
とりわけ、裸婦に代表される“乳白色の肌”の美しさは、
多くの人々の心をとらえてきました。
その後中南米を旅行して日本に帰国しますが、第二次大戦後は
フランスに戻り、やがて帰化して、再び日本の土を踏むことは
ありませんでした。

これまで何度か開催されてきた藤田嗣治展は、その画業の
全体像を示すには、必ずしも十分とはいえませんでした。
また、その波乱に満ちた生涯ゆえに、数々の逸話による伝説と
しての藤田像が、画家としての評価をおいて、一人歩きして
しまった感もあります。

この展覧会は、パリ時代から晩年にいたるまでの代表作約100点を、
フランスやベルギーを加えた国内外から集めて展示します。
日本初公開作品約20点を含めた作品を通して、あくまで一人の
芸術家としての藤田嗣治の全貌を探り、伝説ではない、あらたな
藤田像を見出そうとするものです。

 <内容>
第1章 エコール・ド・パリの時代
第2章 中南米そして日本
第3章 ふたたびパリへ
 
http://www.nikkei-events.jp/art/fujita.html

>略年表
1886年 東京に生まれる。
1910年 東京美術学校西洋画科本科を卒業。
1913年 フランスに渡る。
   ピカソ、モディリアニ、スーチンらと知り合う。
1917年 パリの画廊で初の個展を開催。
1919年 サロンに初入選し、会員に推挙される。
1931−33年 ブラジル、アルゼンチン、ペルー、
   ボリビアを訪ね、メキシコを経由してアメリカに入る。
1933年 日本に帰国。
1934年 二科会会員となる。
  戦時中、従軍画家として活躍。
1949年 ニューヨークのブルックリン美術館に招かれる。
1950年 パリに移る。
1955年 フランス国籍を取得。
1959年 カトリックの洗礼を受ける。
1966年 ランスのノートル=ダム・ド・ラペ礼拝堂の
  フレスコ画を制作する。
1968年 チューリッヒの州立病院で死去、81歳。


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