もうちゃ箱主人の日記
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2005年04月03日(日) ローマ法王死去

ローマ法王(音楽史では、「教皇」と呼ぶのが一般的)
ヨハネ・パウロ2世が死去した。

クリスチャンではない私でも、現教皇の
ニュースはよく見聞きした。
下記の行動は大きな称賛をあびる一方で
毀誉褒貶もあるように、もれきく。

・祖国ポーランドでの民主化運動を精神的に支え、
 ソ連・東欧の共産主義政権崩壊と冷戦終結の立役者
 の1人となった。
・東方教会との歴史的和解。
・104回もの外国訪問=「空飛ぶ聖座」と
 呼ばれる活発な外交で、湾岸・イラク戦争に強く
 反対した。
・神学的には、「マリア崇敬」派といわれる。
・故マザー・テレサの早期列福(列聖の前提)に
 大きなイニシアチブをとった、とされる。

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 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世(84)が
2日午後9時37分、バチカンの法王宮殿で死去した。

四半世紀以上にわたる在位中、他宗教と対話や和解を
進め、世界10億人のカトリック教徒の精神的な支柱と
して大きな足跡を残した。

1920年5月18日にポーランドの古都クラクフ近郊
で生まれた。本名はカロル・ボイチワ。
ナチス・ドイツ占領下、地下組織の神学校で哲学・神学
を学んだ。戦後司祭になり、63年にクラクフ大司教、
67年に枢機卿。

78年10月16日、在位34日で死去した前法王
ヨハネ・パウロ1世に代わって法王に選出された。
イタリア人以外の法王は、16世紀以来
455年ぶりだった。

81年5月にはサンピエトロ寺院で狙撃されたが
一命をとりとめた。
最も力を入れたのは、平和の訴えだった。
91年の湾岸戦争などに強く反対。
03年のイラク戦争回避の説得を続けた。

カトリックの教義においては超保守的だったが、
対外関係では「開かれた教会」を目指して多くの改革
にも着手。
他宗教と協調を図る柔軟路線へ転換した。
11世紀にカトリックと分裂した東方教会(正教)を
はじめ、16世紀の宗教改革で分かれた新教諸派と
対話を重ねた。

東欧改革をはじめとする世界政治にも大きな影響を与えた。
戒厳令下の83年に母国ポーランドへ戻り、弾圧されて
いた自主管理労組「連帯」を支持。
社会主義政権への抵抗運動の精神的な支えになった。

81年2月に来日し、広島、長崎などを訪問した。
広島で
「広島を考えることは、平和に対しての責任を取る
 こと」と軍縮・核廃絶を訴える平和アピールを発表した。
   <朝日ほか>
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もうちゃ箱主人