もうちゃ箱主人の日記
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| 2004年12月02日(木) |
@ 礒山先生 『J・S・バッハ』 講談社新書より |
この本を再読していると 今まで読み過ごしていたこと、がみえてくる。 (ワタシも少しは成長したのかしらん!^^)
------------------------------------------- >ポリフォニーからホモフォニーへ
歌謡曲も唱歌もバイエルも、われわれがふつう接する曲は、 ほとんどホモフォニー様式で書かれている。しかし実際には ポリフォニーのほうがはるかに先に生まれ、長期間にわたって 栄えたのである。 …… 〔ルネサンス時代に〕ポリフォニーは洗練され、ジョスカン・デ ・プレやパレストリーナの時代(15〜6世紀)に、精緻で調和の 取れた技巧体系を獲得した。 そこでは、すべての声部が自立し、互いに摸倣しあって、 ふっくらと、ゆるやかに流れ進む。 …… こうした均整美に輝くルネサンス・ポリフォニーをバロック (17世紀)は受け継ぎ、根底から変容させた。 器楽による通奏低音が、諸声部を支え、統一する。 半音階や不協和音が積極的に用いられ、量と質の対比がさまざまに 図られて、光と影の対立を思わせるドラマティックな陰影が、 ポリフォニーに彫りこまれる……。 高い客観性をもって安定していたポリフォニー世界を人間が ゆさぶり、主観的に統一しはじめたのである。 この世紀のはじめに、デカルトが 「われ思う、ゆえにわれあり」のテーゼを発表していることは、 けっして偶然ではない。 これをホモフォニーへの一歩とみることも、もちろん可能である が、ポリフォニーの本質を成す多元性の要素は、バロック時代を通じ て維持され続けた。諸声部が緊張関係を持って対立し競い合うことが、 バロックの好みだったからである。要するに、求心化の力と多元的 離心化の力とが拮抗するダイナミックな過渡期が、バロックであった。 人間の自己主張は、当時なお、神との緊張関係に根ざしていたからで ある。 バッハの生きた十八世紀の前半には、こうした緊張関係が見失われていく。 ひとつの旋律にすべてが有機的に従属するという、すっきりしたわかり やすいテクスチュアが、この時期に整ってくる。 これが、前古典派から古典派の時代を支配する、ホモフォニーである。
<同書 24−25頁>
------------------------------------------- >ホモフォニーの音楽は、作曲者が書法の差別化を通じて、聴き方を誘導 している。 どれが主旋律であるか、どこが形式の区切りであるかはおおむね明瞭にされ ていて聴き手は受身にそれをたどっていけば、まずは音楽を正しく聴くこと ができる。 これに対して、ポリフォニーはそうではない。 たとえば、オルガンがフーガを展開する時、聴き手は旋律の重なり合いを、 多様に聴くことができる。 主題の登場に耳をすましてもいいし、紡ぎだされる旋律の進展に 注意をこらすこともできる。 対旋律に耳を委ねることも、また主題と対旋律の そのつど新たな結合を吟味することも、聴き手の自由である。 要するにポリフォニー音楽は、聴き手に、いっそう自由なテキストの読み を許容するのである。 すぐたポリフォニーに接しているとき、聴き手はいつしか自由になっている。 <同書 29−30頁> -------------------------------------------
もうちゃ箱主人
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