● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
明日 咲く花
● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●

○MAIL○○HOME○○BBS○●● ○BLOG○
○BACK○○INDEX○○NEXT○



2009年09月22日(火)  マイナスは、なに?

今日も、だらだらと一日が過ぎて行った。


ワンコがいつも散歩する堤防では、入水自殺未遂事件が起き、
私より若い女性が救急車で運ばれて行った。
女性のお母さんが、救急車に一緒に乗った。
産んで育てて大人にして、一人前の社会人になったはずなのに、
自殺未遂をして、娘と一緒に救急車に乗るなんて。
死にたいと思った女性に対しても、救急車に同乗したお母様に対しても、
胸の痛む想いです。



それなのに、私ときたら、
昨日と同じダラダラな一日。

午前中はどうにか忙しげに過ぎて行くけれど、午後から、
夫の昼食を提供して、夫が仕事に出てからは、
けっこうな、専業主婦の醍醐味〜な時間。


人の人生ってのは、プラスとマイナスでワンセットだそうで。

大金持ちの方とか名声を得た方とか、郷ひろみさんとか、
そういう人たちは、プラスの幸せな部分もあるけれど、
とても辛いマイナスな部分も持ち合わせていて。


人の事を羨ましく思う時は、
人のプラスだけを見ずに、マイナスな部分も含めて見て、
人を羨む時は、マイナスな部分も知った上で、
「それでもあんな人生が良い」と思うべき…と。
ものの本に書いてあった。


それならば、私の現在のダラダラな暮らしは、
今までの人生の何がマイナスだったから、現在のプラスがあるのだろうか?





押すと続きが読めるよ



そんなの、普通じゃないよね〜?ね〜?




★今夜のおかず★



頂き物の、フグの炊き込みご飯。
ちゃんと作ったエビチリ。
ポン酢で下味をつけたから揚げ入り野菜炒め。



BBS
どうぞお気軽に



結婚その三
 京都に来た日 25才

とうとう、京都へと引っ越す日が来た。
結婚する時は、まさか京都に住むとは思っていなかった。
夫はプロポーズの時に「ワシは一生北海道に住む」と言ったからだ。
結婚してわずか1年と半年で、私は期せずして生まれ育った北海道に
別れを告げることとなった。

女というものは、結局自分で人生は選べない。
伴侶の思う道に従うのだ。
伴侶の思う道に従いたくない女性は、離婚という道を選ぶのだ。

十勝の田舎町から札幌・千歳空港まで、私の母が見送りに来てくれた。

引っ越しの荷物は、すでに夫の実家に送ってある。

生後間もない長女を抱き、千歳空港で母に別れを告げた。

とてもあっさりした別れの風景だった。

「じゃあね」「うん、じゃあね」

そう言い合って、別れた。

母が後ろを向き歩き出し、
私も後ろを向き歩き出し、

そのとたん、
涙がとめどなく流れてきた。

長女を抱きながら、
声を殺して、大粒の涙を流した。

横で夫は、ただ黙って、私を見ていた。


結婚して家を出る時も感じなかった寂しさが、私の心を支配していた。
もう、この土地、北海道には帰れないかもしれない。そう思った。
何度もそう思い。
思うたびに涙がぼろぼろと流れた。


千歳空港を飛び立ち、伊丹空港に飛行機は到着し、
バスを乗り継いで夫の実家へたどり着いた。
夫の実家は、山深い小さな町だった。

その間ずっと、私は泣いていた。

山々を縫うようにバスは走り、夫の町へと向かった。
あの時の山並みは、一生忘れない。



人生で流す涙は、もうこれで枯れてしまうのではないかと思うほど、泣いた。
(残念ながら、これで枯れることはなく、その後もたくさんの涙を流したけど)

夫の実家に着き、姑に会った時、
姑は黙って私を抱きしめ、背中をやさしく撫でてくれた。
何も聞かず、何も言わず、黙って撫でてくれた。


今でも兄嫁に言われる。
「お義母さんは、私より、ゆうさんの方をかわいがっていたよね」

京都に実家があって、しょっちゅう母親が世話をしてくれていた兄嫁に比べ、
北海道から一人出てきた私を不憫に思ってくれていた姑だった。

姉御肌の姑は、何かと私のことを気遣ってくれた。
感謝してもしきれないほどです。
天国のお姑さん、本当にどうもありがとうございました。




ーつづくー



○BACK○○INDEX○○NEXT○


My追加

ご感想をどうぞ。
エンターキーで送信されます。気をつけてね。



恋茶猫

Design by shie*DeliEro
thanks for HTML→HP WAZA !
thanks for HTML→CHIPS!