ことばとこたまてばこ
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2008年04月14日(月) スマイルシャッターってむかつく

http://www.sony.jp/products/Consumer/DSC/DSC-T200/feat1.html
目覚めたらでこに鼻糞が付着していた。これはいったいどういうこと?まったくもって摩訶不思議。そこでソニーがだしたスマイルシャッターっちゅうちゃらちゃらした機能付きのデジカメがある。しかしあれを観るたびに顔の神経とかがおかしゅうて笑えないとか精神的に笑いたくても笑えないやつとかはどうするんだ!たかだかカメラが人間の複雑極まる機微に満ちた表情を判断するんじゃねえぜ!っちゅうか、あれささやかに差別心の芽生えとなりやすいんちゃう、思考の短絡化につながるんちゃう、とそっち視点なのでいつも激昂する。だからおれにとってはどうにもこうにも不愉快なカメラ。だいたいにおいて「笑顔」というのは生物の本能からすれば「まがいもの」のはずだと思うのになあ!人間の作りあげた法律という一種の美に添っているという意味で「笑顔は理性的でまったく素敵だ」という理屈もあるとは思う。けれども生まれたてンの赤子が笑うのは何も楽しいわ楽しいよ小便ちびっちまったどわあああ楽しすぎてこんどは糞もらしちまったくわあああまったくちくしょうめ楽しいぜベイベー!という感情の震えから笑っているのではなく、赤子個人では食う寝ることも満足に適わずそれどころが独りは死に直結するがため、一人でも多くの他者に自分を好きになって助けてもらおうと、泣くことで自分っちゅう存在を知らせたり、笑うことで周囲に自分の存在意義を長らしめるということを知らず知らずのうちに行っている、それだけでしかないと思っている。そして物心ついてからの笑顔というのは社会との潤滑をはかるうえで意志的、あるいは嘘ともいえる感情が混じる。それは善し悪しにつけ必要なものである。ただそれが過剰となると、笑顔を浮かべるのに疲れた、っていうことになりそれはつまるところ要するに、嘘をつきつづけるのに疲れた、ということと同意義なわけでね、そらあしんどくもなるわな。なのでそうゆうやつは「笑わない」ということがすなわち「笑っている」ことにもなるんだということをもうちびっと勇気だして自覚すればいいと思うんだー。しかしスマイルシャッター、このような機能のついたカメラを向けるということはすなわち笑顔の強要や脅迫であってね、おれにとっては「はーい、笑って笑って」は「はーい、生きて生きて」とゆわれているようで、何故おめえにわざわざそんなことゆわれなあかんの、生きるかどうかはおれが決めたるわい、ほんとに笑いたいときに笑うわい、ってかこんなちっぽけなカメラにおれが生きてるかどうか判断されるのってじつにかなわないわあ!くそばかめたでっかいお世話っちゅうやっちゃっちゃっちゃ!というように感じられてむかつくんであった。閑話休題。そんなスマイルシャッターの仕組みよくわからんけど朝方頃三脚使って設置して、眠って、目覚めてカメラを観てみたい。寝ながらにやにやする様相が撮れてておもろそうだ。おれのばあい一眠りのあいだににやにやしながら鼻糞をでこになすりつける写真が数枚は撮れていそうだ。ぶるぶる・・・。要は使い方次第って話であった。たらら。朝の小話。


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