ことばとこたまてばこ
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| 2006年10月11日(水) |
揺れて光り、ついには漂う |
現在、職にも就かず布団の中で鼻くそをほじくって屁をひってアンニャニャニャとあくびをするしか時間を潰せぬという、まったくふぬけた生活を過ごすおれ。その膨大な空き時間にあかせて、毎週水曜日の昼に大体一時間半ほど、家の近くに住んでいる脊髄小脳変性症いう障害を持っている子の食事のお手伝いをしている。
16歳である彼の障害は進行性で徐々に体の運動機能が衰えてくるというもの。
本当に初めのきっかけは小学時の妹と彼が同級生だったこと。その繋がりで彼の父母と我が母との面識があったこと。そして彼の母が彼と同じ障害で亡くなったということ。そして障害が進行しつつある彼の介護を母が申し出たことから始まった。とはいえ母も仕事があるため、基本的に介護をするのは仕事が休みになる水曜日の昼の食事だけ、ということだった。でもその話を初めて聞いたとき、おれは仕事勤めをしており介護のお手伝いに向かう時間がなかった。そして時間に溢れたいま。それがきっかけ。
先ず赤裸裸に告白すると、とりあえずおれは聴覚障害者という立場にあり、そしてずっとその場に甘んじてきていた。にやにやしながらおれ障害者だよ、障害者なの、ははは、といったような雰囲気を知ってか知らずか身にまとい、障害者にうとい世間をずる賢くやり過ごしてきていた、な、と今、つくづく思う。
彼の口がまったく読み取れない。 彼の体の動きがまったく予測つかない。
あくまでもおれの主観ではあるけれど彼の障害の大きな特徴は筋肉が自分の意思と反して勝手に動いたり、思う通りに扱えなかったりすることだと思っている。たとえば食事をするとき、いつもラーメンをつくるのだけれども、麺をフォークでつつき、フォークにからんだ麺を口に運ぼうとするときに腕の筋肉がブルッと動いてしまったりする。結果、麺はほとんどこぼれてしまう。 食事の後はラーメンの丼の周りに麺が散らばってしまっている。
この頃、聞こえる母がおらずおれ一人で食事の手伝いをするようになっている。 それでおれは困ってしまうことがたくさんあった。 彼にもっと気持ちよく食べてもらいたい! 彼ともっと会話を交わしてみたい! 彼の手足にもっと近づきたい! 彼に!彼に!彼に!彼に!彼に! だけれども彼の口はちっとも読み取れない(母の話では発音は通常と変わりない模様)。筆談は可能なのだけれどもお互い使った労力の割に合わないことが多い。たとえば『タオルをとって』というようなことだけで数分かけてもしょうがない、と思っている。 そこで基本的には携帯のメール文面で会話をかわしている。 おれからのほうは音声で(まだまともな発音だそうです。でもサ行がからむとほとんど通じない)話しかけ、彼からはメールを打つようにして言いたいことを言ってもらうようにしている。
最近ようやくこの方法でお互いまだマシに交流できているんじゃないかな、と思ったりしていた。 とはいえまだマシというだけで、もうチョット気持ちよく過ごしてもらえるんじゃないのかな、と思って。あまつさえ、彼の声が聞けなくて本当に申し訳ない、といったことまで強く思って。
そんなこの頃の、そして今日。 「はるみちさんって介護じょうずですね」と携帯で言われた。 上記の悩みを母に漏らしていたので母が何かを言ったのかしらンと思った。 彼はちょっと言いたいことを言わなさすぎる(ように思っている)ので、なんというか彼一流の世辞くさいわンとも思った。
でも嬉しかった。 嬉しかったんだね! 嬉しいという気持ちが飛び跳ねすぎてて困るくらいだった。 ほんっと困ってしまってついには絶句してしまったんだな。
そんなこと言わないでくれよと思った。でも判ってくれてありがとうとも思ってた。厚かましくも。感情が千々に乱れて「そんあ、ことない。でも ありがとう ほんと ありがとう」とかつまらぬことしか言えなかった。ビックリしたな。たまげたな。まったく。
話は急に逸れるけれども、この一件で逆におれは「手話を覚えてみたい」と言ってくれる人々の気持ちが痛烈に理解できたと思っている。
手話サークル等に参加したり、手話を覚えるためになんらかの努力をしてくれる人には何かえも言われぬ気持ちがたくさんあるのだ。ぎっちり、みっちりと、つまった気持ちがきっとあるのだ。ただ初めて見るものや人ばかりだからその気持ちがどうもうまく回転しなかったりするんだろうね。
そして、善くも悪くもただ単純に相手のため、という気持ちしか持っていない人に対し、当の障害者自身が気づかずにないがしろにしてしまっていることもあるんだね。自分自身を顧みてもつくづく反省することしきり。障害者であるおれが上記の彼という障害者を助けようと悩むことでようやく気づくのだから、さ。いやはやこれは恥ずかしいことこの上ない。
要するに自分が障害者だと思っている奴らはもうちっと暴れたらいいんだ。 これが嫌だと、これが良いんだと、こうやってくれりゃいいんだ、と。 もうちっと言いたい放題になるのだ、というスイッチを入れりゃいいんだ。
だけどそれも相手の気持ちを見つめた上でのことなんだね。人という人のそれぞれの個人に合わせることなく、大雑把に人全体へ向けて暴れたりする様はミットモナイ。
どうにかそのことに気づけたので、いままでなかなか思うように言えなかったおれ、どんなに時間がかかろうとも来週は彼に言ってこます。 「同じ障害者同士、腹を割ってお互い気持ちよくやってける方法についてくっちゃべろうぜ、ベイビー」
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