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2005年09月07日(水) 「愛」とは・・・

話は変わりますが、先生のダイアリー、とても勉強になります。
「うらぼんえ」の話もとても興味深かったです。
今まで確かに8月頃体調が優れなかったし、
妙に周囲が湿っぽい気がしていたのは、
地獄の釜が開いたせいだったのですね。よく若者が開放的になって、
悪さをしたりする理由もそのためなんだと納得しました。

そういえば、先生のダイアリーの中に、
目連尊者の母親が「かわいい我が子のためを思って、
欲深い行動をしていたために地獄へ落ちた(=自分のためであった)」
という一節があったのですが、そういう母親でも、
この場合はたまたま高僧目連尊者様ですが、
地獄に落ちざるを得なかった母親を思って号泣するくらい母親を
愛していたのだとしたら、その母親の愛の、どこに問題があったんだろうと思いました。
先日、法句経を読んだ時に

 210:愛する人と会うな。愛しない人とも会うな。愛する人に会わないのは苦しい。また愛しない人に会うのも苦しい。
 211:それ故に愛する人をつくるな。愛する人を失うのはわざわいである。愛する人も憎む人もいない人々には、わずらいの絆が存在しない。

という箇所があったのを思い出しました。確かに、妄愛や執愛はいけないかもしれないけれども、どうして「愛する人」を作ってはいけないんだろうと思ったことを思い出しました。
そう考えると、親の愛とはなんだろうと思いました。地獄に落ちるほど自分のことしか考えない愛を注がないためには、どのように「愛」を捉えて実行していけばいいんだろうと思いました。
(一部抜粋)

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「愛」についてを説明する事は、とても難しいものですが・・・

お釈迦様が説法の中で「愛する人をつくってはならぬ」と
説いて居られたことは、もう一つの質問である目連尊者の母親の愛
とも関連しています。

餓鬼界に落ちてしまった目連尊者の母は、
自分の息子を育て上げる為に生前一体何をしていたのでしょう・・・

例えば、自分の子供だけの事しか眼中に無く、
息子にお腹いっぱい食事を与える為に他所の子供たちの食べ物を
奪っていたとしたらどうでしょうか?

自分の息子の幸せの為ならと、
人道を踏み外すような事をしていたとしたらどうでしょうか?

これは、今の世の中にも通じると思いますが
『自分の子供さえ良ければ・・・自分さえ良ければ・・・』という
自己中心的な考え方と同じであり、
これが本当の ”愛”なのでしょうか・・・

お釈迦様は決して『愛』自体を禁じて居られたわけではありません。

仏教に於いては ”見返りを期待せず、唯与える”という
『慈悲』という言葉になりますし、
これは、キリスト教でいう愛に近いものだと私は考えています。

通常でいう「恋愛や愛」というものは、本当の『愛』ではなく・・・

「私はこんなに想っているから、私の事を想ってほしい」
「私のことだけを見てほしい」
このような感情を相手に対して持つ事や、
感情を相手に押し付ける事が愛だと考えている人が殆どでしょう。

このような感情に心を支配されてしまう事。
それは、相手に対する執着となり、貴方の苦しみを生むことになる・・・

そういう意味で、
お釈迦様は「愛する人をつくるな」と仰ったのだと私は解釈しています。

実際には、
本来の母親が子供に対して与える無限の愛が慈悲に近いと思います・・・

自分の子が可愛い、愛おしいのはもちろんですが、
他所のお子さんも同じように大切に想うことができれば、
その愛は慈悲に近いのです。 
(省略)
言葉で表現する事は、とても難しいものですね・・・
もしわかり辛い箇所がありましたら、お便りを下さい。
                 (一部省略)

             杏珠


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