| 2005年02月05日(土) |
素晴らしい気付き・・・ |
杏珠先生へ
こんにちは。 2月に入ってから、私はイラストを仕上げる事に意識が向いてきました。 私も頑張ろう、という気持ちをいただけたこと、感謝しております。
(省略) 私の見たヴィジョンには、痛みも感情も伴っていなかったせい なのか、自分が何度も死んで、そして何度も生まれ変わってき たということが、ごく当たり前のことのように感じられました。
ちょうど、自分がこの世に生まれて何度も繰り返してきた事、 夜に寝て朝目覚めることや、新しい年を迎える事と、 なんら変わらない自然の摂理であるような...。 でも、逆に考えれば、一日が終わり新しい朝がくること、 季節がめぐって新しい年が始まるということは、生まれ変わることと同じことで、人生をリセットして新しくやりなおせるチャンスを、 神仏が用意してくださっているということでしょうか。 そうだとしたら、御神仏はなんと慈悲深いのだろうと、 この事実に驚きを感じてしまいます。 当たり前に感じていた新しい朝がくる事、新しい年が始まる事が、 とても神秘的で信じられないくらいすごい事に思えてきます。 でも、この事は、杏珠先生とAYA先生が、 これまでダイアリ-でも繰り返しおっしゃってきてくださったことですよね。
ところで、話は変わりますが、 以前ご相談させていただいた神経質な隣人について、 またお話してもよいでしょうか。 (省略)
2月(省略)から毎日、隣人の(省略)には工事屋さんがやって きて、事務所の塀を取り壊し、なにやら大掛かりな工事を始めています。 ダンプやらショベルカ-やらの音で、かなりうるさいですし、 ほこりが舞って洗濯物も外に干せないくらいです。
私自身は御祈祷と御念珠のおかげだと思うのですが、 今では周囲の物音に腹がたつこともないですし、このうるさい 状況を幸いとばかりに、今まで音が響くので使うのをためらっ ていたプリンタを使ったりと、快適に過ごす技をあれこれ使っ て、状況を楽しんでいます。
気になるのは、この隣人一家の態度なんです。 自分達が、まわりに迷惑をかけている立ち場なのに、 いつも以上に、周囲への怒りがはなはだしいのです。 当然のことのように、工事が始まる事は一切なんの知らせもな く、いきなりのように始まりました。 (省略) 別の隣人が布団を叩き始めても、『うるさい!!』と怒鳴るので、 その隣人も『おまえたちがよっぽどうるさいじゃないか』とキレてしまったようで、それから20分くらい延々と布団をたたき続けていました。
彼ら一家はいつもよりピリピリと、周りに怒りをあらわにしている感じです。絶えず文句ばかりを話しているのが聞こえてきます。 不思議な人たちです。周りの誰もが大かれ少なかれ我慢しながら生活しているはずなのに、何故彼ら一家の全員が気持ちを切り替えたり、 感情をコントロ-ルすることが出来ないのだろうか、と思います。 (一部省略・抜粋) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
メールを拝見いたしました。
今回のお便りに書かれていた、 『一日が終わり、新しい朝が来ること・・・リセットをしてやり直す事が出来るチャンスを与えてくださった神仏は、何と慈悲深いのでしょう・・・』という気づきは、本当に、本当に、素晴らしい物です。
こういう気づきは、いくら言葉で私などが説明しても決して気 づく事は出来ないのです。
御自分で気づいたとき初めて「こういうことだったのか」と感 じるものですから、御自分で気づかれた貴方は本当に良き方向 に進んでおられるのです。
貴方の気づいた通り、やり直す事が出来る人生を与えてくださ った神仏は、なんと恵み深く慈悲深いのでしょうか・・・
癌等の思い病を患われた方が、 神仏の存在・・自分は生かされているのだ・・・と言う事に気づいたとき、いつも見慣れているはずの風景が突然輝いて見えると仰います。 この気づきは、それに通じる物があるのですよ。
そして、隣人の方については・・・ あまりにも変わっておられるようで是非私もお会いしてみたいものだ・・ と思ってしまいました。
この方々に関しては、 先日もお伝えしたとおり、貴方がやれることは実行(常識範囲内)してみて、後は何を言われても気にしない方が良いと感じます。 (一部省略・改訂)
杏珠
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