| 2004年04月28日(水) |
私は、きちんとした方向を向いているのでしょうか? |
AYA先生、こんばんは。 メールを差し上げたばかりですが、 またこうしてお便りすること、お許し下さい。 ここのところ、ずっと考えごとをしています。 大いなる流れ、学び、どれも貴重です。 そして私の中をどんどん流れてゆきます。 人に楯突くことを押さえる余裕を生み出してくれ、 自分を顧みる気持ちを与えてくれています。 しかし、 その流れの中には... 「選ぶ」という課題が混じっているようです。
来た流れをきちんと受け取るという学びと、 来た流れを上手く避けるという学びがあるようなのです。
全てが隣り合わせているように感じます。 素直と依存、苦言と失言、謙虚と犠牲... もちろん間違えても学びにはなるのだと思います。 しかし、分岐点にいるときは、 この選択1つで、道が大きく離れてしまう。
わたしに今できることといえば、 投げ出さないということです。 仕事では、今日はこのへんで止めたいと思う少し先までやってみよう。 人への親切も、その場だけではなく責任をもっていこう。 はじめた掃除や家事も、面倒くさいと思うところを越えよう。
本当に小さなことですが、これがとても難しい作業です。 簡単に見えることは、どれもとても大きなことです。 私が周りから受け取っている幸せは、 自分が思っているよりも、ずっと大きなものなのかもしれません。
そして、わたしが気づかないのに、 それを与えてくれる方々がいることに、感謝したいと思います。
先日のメールでもお話しましたが、 最近、人から声がかかることが多く、 わたしは心の伴わないものに... 温かく、ワクワクする流れを感じないものに対して... どう対処していこうか、という 新たな課題に向かい合っているのかもしれません。
こういうことを考えてしまう私は、 きちんとした方向を向いているのでしょうか?
最近、共感する気持ちが高まってきたようにも思います。 (そのため、毎日がとても楽しくなってきています。) しかし、それ以上に、見え過ぎる感情があります。
ただ、ただ、 お守りいただいていることに、深く感謝し、それを信じています。
ある職人さんの口癖が、好きです。 「道具は一流を揃えるんだぞ。言い訳ができなくなる。 あとは自分の腕次第なんだからな。」
長くなりました。 明日の雨を越えたら、随分と夏に近づくことと思います。 ではまたメールいたします。 (一部省略)
貴方からのご報告、拝見致しました。 私は、貴方から大変に励まされています。
貴方は、しっかりとご自分の学びを冷静に受け取り、 確実に前に進んでいます。 大変、素晴らしい・・。 頭の中だけではなく、 日々の生活の中で、それを行いとして実践している・・ 本当に大切な事は、そこにあるのです。
貴方は、他の相談者の見本のような方です。 これからも数々の学びを喜びとして、成長に変えて 生きましょうね。
又のご連絡をお持ちしています。 (一部省略)
−AYA−
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