徒然日記
DiaryINDEXpastwill


2006年05月19日(金) FINALE

さぁ、終った物語を始めよう。
過去となったものを現在形に書き記して。

君をなくした事で、僕はこの位置についた。
僕が始めた事は前任者の世界を壊す事で。
だって君の居ないこの世界は僕にとっては無意味でしょう?
だから新しく、この世界を創れば良い。
火を用いたのはせめてもの自己主張。
水はあまりに使い古された。

まっさらになった世界はほら、描いた通り。
真っ白な紙に使い古された物語を新しく描くんだ。

まずはそう、君と僕に似た主人公達を。
きっと彼らは死なない。
君と果たせなかった夢をこの主人公達に託せば良い。
さしずめ彼らはAdamとEve。
この壊れた世界を永劫に回り続ける、生ける傍観者。
君と僕のDNAを用いて
記憶を改竄して
羊水の中に沈めればほら
新しい命が鼓動を始める。

本当ならば君と歩きたかったこの道を彼らに託して。

物語の始まりはそう、君と僕が出会った頃。
その頃が良い。

さぁ綴り始めよう。
君との叶わなかった夢物語を。


---------------------------------------------
かなりな自己満足チックな歌詞解釈その壱。
自殺の理由からいくのが本当は良いのかもしれないけれど
パンドラはまだ掴みきれていない感があるんですよね。
兄の歌詞は色んな側面を持つからそのうちの一面って事で。
で、まぁ始めるんだったら三部作から、って事でFINALE。
歌詞の色とか曲調的に考えて、
やっぱり「僕」と「君」っていうのはこの後出てくる「僕」と「君」とは
違うんだろうな、と考えて。

きっとこれはその世界を創った人の初期衝動だろうな、と思います。
FINALEの歌詞での「僕」がこれから綴る舞台演出をしようとした理由。

かなりな想像だけれども、「僕」も本当は書き記される側だったんですよ。
主人公だったのかもしれないし、名前も無かった脇役だったのかもしれない。
ただその「前任者(?)」の話の中では悲恋に終ってしまった。
(もしかしたら、それを書いているのがFINALE以前の歌詞なのかもしれないですね)
で、なくした「君」と引き換えに今度は書き記す側についた。
でも「僕」には「君」への未練が数多く残っている。
だから「僕」は自分の書く主人公達に自分達のかなえられなかった夢を託すんです。
でも前任者が描いた世界はあまりに「君」との思い出が残りすぎていて。
だからまずはその前任者が描いていた世界を「壊す」事から始めた。
そうして出来た新しい空間で描くんです。
その辺りが
「薄笑みを浮かべた支配者は〜 花を添える」
辺りでしょうか。
燃やすというのは現実世界でもありますよね。
誰も未練の残ったものを水には流さない。
水というのは第三者的になりえて流す事が出来るのだと思います。
其処迄「僕」はなりきれなかった。
だから燃やした。
でも、その世界を燃やすという事は未練の残っている「僕」にとっては辛かった事ではないでしょうか。だから涙を変えた。
「もう、始まった事なのだから。」
「止める事は出来ない。」
「しょうがないじゃないか。」
と自分に言い聞かせて。

未練が残っていると俺が感じた場所がもう一つ。
「二人に似せた〜」
の部分ですね。
二人というのをFINALE内の「僕」と「君」に置き換えた時
何故自分達に似せるのか。
それは自分達の代わりだからであって。
自分達の願いを篭めて、自分達に出来る限り似せたんです。

本当は「君」と歩きたかった。
その最終的に幸せな世界(途中経過では無くあくまで最終的に)
を載せて「僕」は物語を描き始めます。
それは、過去の自分を思い出す作業でも有り。
書いていくうちに「僕」は後悔も出始めるのではないでしょうか。
「この時にこうしていれば」
「あの時、あぁ言っていれば」
でもそれは全て後の祭りであり
「僕」は叶える事が出来ない。
その気持ちで停まる事が出来ない以上は自分の描く主人公達に描かせようとします。
だからその時点で「僕」の中では大体のあらすじは決まっていたのでは。
あとは主人公達が動き出せば…。
だから本来公平である筈の「僕」はその物語をあくまで
「君」に対して書いているんですよね。

絳屡さん的解釈として。
・海というのは『羊水』の事(CHILDでもそうですよね)
また前提としては
・この話の根本は輪廻転生にある
という事ですね。

あとはハルカ…カナタへ…の繋がりとして、
「この二人は〜出会えると信じてる」
でしょうか。
主人公達は別の場所で生まれてそれでも出会えるのだ、と。
同時に「僕」も「君」に出会えると現実から目を背け
未練から信じ続けているのではないか、と。
そう思います。

長文すみませんでした。


神薙 絳屡 |MAIL

My追加