三日坊主日記
瑞樹 美霧



 美輪明宏『葵上・卒塔婆小町』

 おおおおー。
 掛け布団もマットレスも軽い、気持ちいい♪

 本当にクリーナーと乾燥機のお蔭か、それともプラシーボ効果なのか?

 昨夜……いや、今朝だな。布団に入ったら、掛布団は軽い(いや元々羽根布団なので軽いが)し、マットレスも軽い。
 流石に外干しした時みたいに『お日様の匂いがする』的なことはないけど掛布団がふわふわになってて軽い。
 ってのは理解されるだろうが、マットレスが軽い、って変な言い方かもしれないけど、何だろう、寝転がった時にもったりしないというか。
 やっぱり湿気が気になる程敏感ではない私でもあれって湿気てだんだー、と気付く位には。
 クリーナーのお蔭かベッドの中で動いても埃が立ってないような気もする。←それこそプラシーボかもだが(苦笑)
 ふむ、やっぱり部屋の掃除用に専用ヘッド買い足そうかなぁ。布団に使うヘッドと部屋の床掃除するヘッドを兼用にだけはしたくないから。
 掃除機が手近な所に置けるってのも私的には助かるんだよね。
 今まで部屋の掃除しようと思ったら階下の台所に置いてある掃除機持って上がって来て、って所からだったから面倒だったんだよね。
 しかしヤバい。クリーナーと乾燥機、毎週休み毎に掛けそう。←悪いことではないと思うが

 さて、昼前に起きて、飯食って、出掛ける準備しようと思いつつ。
 メモリプレーヤーを新しくした時に何時もならソッコー首から掛けて使えるようにアジアン・ノットとかでネックレス風なもの作るんだが、今回全くその気になれず。
 まあ、プレーヤーが重いってのもあるけど。
 でもジャケットとか着てる時はポケットに入れておけばいいけど、着ないで出掛ける時なんかはやっぱり不便で。←結局デニムのポケットに入れてた
 アジアン・ノットで結ぶの面倒なら本体のストラップホールにリング着けて、革紐かなんかをネックレス代わりにカニカン通しておけば着け外しも出来るよねー、なんて思い付きやり始めたんだが。
 先ずリングが通らねぇ。リングの径が本体のホールの幅より大きい。仕方が無いので取り外し諦めて革紐直接通すか、と思ったら革紐がホールよりも太い。
 これ又仕方が無いので細いコットンロープ使ったら本体のホールに無事通り、自在を作って長さ調節出来るようにして今日首から掛けてった訳だが。
 本体重過ぎ、コットンコード滑り易過ぎで、使ってるうちにどんどんネックレス部分が伸びていく。

 ……あかん、これイラチ来る……。

 最後の手段で、コットンコードで本体のホール部分にリング作って革紐にカニカン通して取り外し可能の状態にしてみた。
 一応明日は首から下げて使う予定なので、使ってみて不具合出たら又考えよう。



 さて3度目、か……4度目? の『葵上・卒塔婆小町』。

 本日のお席は1階21列32番。
 上手サイドブロック側通路脇。
 一寸遠いけど、通路脇なお蔭で舞台は良く見えたので悪くない席。
 そして『葵上』のラスト、若林光が私の脇(通路)を擦り抜けて退場して行った……。
 そしてそして、その通り過ぎて行った後に残された、美輪さんのお召しになっていた(多分)コートへ焚き染められていたお香の香り……。
 ちょっと得した気分。

 どっちかってーと、私は『葵上』よりも『卒塔婆小町』の方が好きで、『卒塔婆小町』1作だけでも同じ金額のチケット代出したっていい位。
 勿論『近代能楽集』なのでお能から題材をとっている訳だ。
 『葵上』は当然『源氏物語』の『葵上』。
 『卒塔婆小町』は絶世の美女と謳われた小野小町が老いさらばえて醜くなり、過去を懐かしむ話。こっちは何が出典だっけ? 『日本霊異記』か?
 勿論『近代』能楽集、なので舞台は近代に置き換えてあるけれど、『葵上』は光源氏(若林光:木村彰吾)の正妻葵上が病に倒れ、その枕辺に光源氏の愛人六条御息所(六条康子:美輪明宏)が生霊となって現れて葵上を祟り殺す話。
 『卒塔婆小町』は深草少将(転生して詩人:木村彰吾)が小野小町(老婆:美輪明宏)に『百夜通っておいでになったらあなたのものになりましょう』と言われ小町の元へ百夜通う(本来の説話では百夜達成のその日深草少将は事故で亡くなってしまい小町は後悔をする)話をモチーフに小町を『美しい』と称えた者はその命を失う、というような呪い染みたものがあって、百夜目深草少将はとうとう思いを遂げられるというその時その言葉を口にし命を失い、又転生して来た詩人も深草少将の軌跡をなぞるようにして亡くなる。そして全てを知っている上で彼らを見送らざるを得なくなる小町、という悲恋物。

 『葵上』は『黒蜥蜴』にも通じる情念、情愛の世界で、『狂おしいほどあなたを愛している』な話。
 このねー、登場の仕方が凄いのよねー。
 葵が眠っているベッドの枕元に置かれた衣紋掛けに金色の月の柄の着物がかかっていてそれが御簾のようにするすると巻き上げられたら美輪さんが立ってる。
 ある意味怖い。いやまあ、生霊なのでね、いいんだ。怖いけど、綺麗なのよね。
 美輪さんの舞台は全部そうだけど、ホントに美輪さんが登場するだけで空気が変わるの。その瞬間にふ、と別世界に連れて行かれるような感覚に陥ることもある。
 『葵上』はそれが顕著かも。
 まあ、ラストは『手袋とコートを忘れたから届けて下さい』という生霊(この時六条さんは電話で光に叩き起こされて電話の向こうにいるんだが)に魅かれるように光は退場して行き、電話の向こうの六条さんの『どうなすったの? 光さん』なんていう言葉が聞こえ、ベッドの上の葵がもがき苦しみながら息絶える、という。
 どうとでも取りようのあるようなないような怖い話。

 『卒塔婆小町』は100歳の老婆が公園にやって来てその公園でイチャイチャしていた男女が逃げ出したりするのを詩人が非難を始める所から始まり、何となく打ち解けた(但し詩人は酔ってる)詩人の『あなたの80年前の話を聞かせて下さい』から若かりし頃の小野小町の話(深草少将の百夜通い)へ。
 小町を『美しい』と称えた人は皆死ぬという話を知りつつも『その言葉を口にしてはいけない』『私は99歳のお婆ちゃんなのよ、皺だってあるし、こんなに汚い』と小町が止めるも、その言葉を口にしてしまう深草少将=詩人。
 深草の少将の生まれ変わりたる詩人が老いさらばえた小町と出会い、過去を振り返り過去へ戻り、目の前にいるのは本当は老婆なのに『美しい小町』といるという何とも倒錯的な状況。
 そして前世の深草少将のように詩人も小町を置いて逝ってしまう。
 それを見知らぬ他人として見送らなければならない老婆。
 この何が凄いって、美輪さんの100歳の老婆と20歳の美女の演じ分け。
 ……って多分前に観た時の鑑賞記にも書いてると思うけど。
 兎に角『凄い』としか言い表せない位、凄い。


 私の後ろに座っていた女性2人連れが『葵上』が終わった後、「難しいわー」「一寸理解が」と呟いてたのが何か新鮮で。
 『卒塔婆小町』の後も「うーん」って言ってたけど(苦笑)。
 そりゃあまあ、凄い抽象的な話だと思うし、私も理解してるのかってーと、多分理解してないかもだけど。
 でも理解が必要なのか、ってーとそれも違う気がするし。
 ストーリーとして入って来たならそれでいいし、観たことによって何か(言葉に出来ない何かでも)を感じたならそれでいいと思うし。考察をして『これはきっとこう』と理解するのもいいし。
 抽象的なものって特に見方や理解に正解があると思ってないし。
 そりゃあまあ、演出上こういう解釈、とかはあるだろーけど。
 観たまま、感じたままでそれに理由や解釈が付けられなかったとしてもそれでいいんじゃないかしら、と。


 そうそう、最後に苛っとした話を。
 本編終わってカテコに入った途端に私の斜め前に座ってたおばはんがスマフォ開きやがって! 通信ツール動いてないのにスマフォ開くな。一応遠慮してちょっと開く、位にはしてたけど、それでも眩しいんだよっ。鑑賞の余韻吹っ飛ぶんだよっ。
 何回も開きやがるから思わず『開くなら出てやって貰えませんか』って言いそうになったわ。辛うじて耐えたけど。

2017年05月21日(日)
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