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■ 定時に上がって本屋行く 筈が
朝起き抜けからおかんに 「あんた今日何時に帰れるか判らへんのん?」 と聞かれ、 「は? 土曜日やし定時に上がるれるよ」 と答えたのが運の尽き。 「じゃあ晩御飯外で食べへん?」 「……ええけど」 「で、映画1本付き合って欲しいねん」 「は?」 「『某団体の名前』の映画の最終。尼崎でpm8:50やねん」 「はぁ!?」
……見事に引っ掛けられた感が否めない。
「晩御飯食べて、尼崎で映画観るから、待ち合わせ何処がええ? 北新地の駅の近くって何か食べるトコある?」 「……あの辺はない」 「じゃあアンタ地下鉄やんなぁ、何処かの出口がええかなぁ? pm6:00位に待ち合わせでー」
……映画に行くなんて一っ言も言ってないぞ。
でもおかんの中ではもう『行って当然』。こうなったら逆らう方が面倒臭い(ってか又ヒスられる。溜息)。 「……虎百貨店側の地下鉄の出口」
劃して待ち合わせて飯食って某団体の映画行くコース決定(遠い目)。
おかんが係わるのは好きにすれば良いが、私は正直言えば某団体には係わりたくない。映画行ってその映画館から出て来るだけで、『あー、ふーん、関係者なんだー』と思われるのも嫌だ。 当然『良いよ!』と押し付けられるのも嫌だ(←おかんが稀にこれをやる)し。
ってか、大事な予定って訳じゃないけど、『本屋に行く』という個人的楽しみを妨げられたのに苛っと。 んでもって、昨夜だって一緒に晩飯食ってるのにその時に言い出さずに、朝起きた時にイキナリ今日の予定を押し付けられてもムカつく。 今朝言い出したのは多分昨夜の夜中とか今朝起きてから『良い案だ!』って思い付いたんだろうとは思うけど。 その急激なゴーイングマイウェイ(明らか自己中)で人を巻き込むの、ホント止めて欲しいんだが。
で、いちお映画の話。 はっきり言って私の嫌いな展開。 軍事国家に日本乗っ取られて、宗教弾圧とかされる中で救世主になる青年が目覚めていく。んで目覚めた青年の下世界の国々が繋がっていく。 『憎むことはせず愛しましょう』 まあ、それは良いんだけど。やっぱどう観たって宗教映画以外の何物でもない。当然『自分トコの宗教が1番優れているんだ』的映像もあるし。 1番受け付けないのは私が大嫌いな戦争映画張りの弾圧シーン。それから弾圧(=正しい)を理由に人が人を笑いながら私刑(リンチ)する。
いちお良かった所も並べておくか(溜息)。 宗教離れた所での人間模様(友情・親子愛・男女愛)は表現こそありきたり(有り勝ちな展開)な感じだったけど良かった。感動することも出来た。 でもそこから又宗教に繋がってくから感動なんてほんの一瞬で吹っ飛んじまうけどな。 あー、後、救世主になる青年が悟りを開く(んだよな、あれは。遠い目)時に現れる悪魔が本性を現した時(最初は青年の父親の姿で現れるが正体を見破られて本性を曝け出す)のCGは良かったぞ。スタンダードな悪魔像で。 勿論モチーフは釈迦とかキリストが悟りを開く前に悪魔が誑かしに来たっつーエピソードの引用だろう。
で、だ。1番観るに耐えなかったのは。 ……役者が芝居下手過ぎる……。 や、全員がじゃないけど。救世主たる青年を始めとして主要メンバーの大半が(溜息)。 動きも、舞台空間で観るには良いレベルのオーバーさなんだが、映像で観るにはちと、な。 んー、出てた役者、殆ど舞台役者なのかも。 舞台役者ならそれでもいいけど、舞台と映像は動き方1つ取っても全く違うんだよ。その辺勉強不足かもな。 舞台には舞台用の芝居の形、映像には映像用の芝居の形があるんだよ。映像で舞台の形したり、舞台で映像の形したりしても全く合わないんだよ。
2012年06月02日(土)
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