| 2008年01月12日(土) |
寒空の休日の午後には |
空はどんよりだし寒いし、
連休初日とはいえ数日後に試験を控えた受験生がいてはお出かけするわけでもなく。
というわけで、昼間っからストーブ焚いてぬくぬくしつつ
クッキーなぞ焼いている穏やかな午後でございました。
ココナツとホワイトチョコチップと全粒粉も入ってるごつごつもっちりチャンキーなやつ。
あまーい香りが漂うとなんか幸せですね。
うわー! なんかすっげー優しいおかーさんみたいじゃね? ←そう発想する時点でいかに普段が。
すっげー平和で温かい家庭みたいじゃね? ←だからそう発想する時点で。
息子に言わせると、奴にとっての「おふくろの味」は、この系統のクッキーなんだそうな。
クッキーかよぉ。料理もちゃんとしてるじゃんよぉ。と思ったりもするが、まあ何でもいいや。
話は全く変わりますが、たぶんここ1年くらい、私の読書の中心は図書館の児童書コーナーの本です。
主に英米の児童書なのですが、「これが本当に子ども向きの本なのか?」と驚いてしまうほど、
がっつり大人も楽しめる、というか深く深く考えさせられる素晴らしいラインナップで、
すっかり児童書コーナー贔屓になってしまったですよ。
週に1冊くらいのペースで色々読んで感じたのですが、
今でこそ児童虐待だイジメだ育児放棄だ、と騒がれている内容が、
どの作品にも当たり前のように子どもを取り巻く環境として存在しております。
まずたいていの親は子どもに横暴ですべての生殺与奪の権利を有し、体罰もネグレクトもあたりまえ、
子どもの友人環境には必ず酷いいじめっ子がいて、それも悪質で命に関わるような悪さを仕掛けてくる。
教師たちの子どもへの締め付けも激しく、常に絶対的権力者として君臨。
貧富の差による差別はもちろん、容姿、体力の有無、親の職種、出身地、すべてが激しい差別の理由となり、
「オマエの母親は魔女だ」というとても欧米的な村八分もあたりまえ。
でも、主人公の子どもらは本当に雄雄しく生きていくのですよ。
「ひきこもり」なんて、親に監禁されでもいなけりゃ絶対になくて、
親や家族が自分を守ってくれないとなれば、果敢に外に飛び出して
自分がまっすぐ生きていける場所を見つけようとする。
そして、そんな親や家族を、自分が強く成長して守ろうとする。
で、どのお話でも、逞しく生き抜いていこうとする子ども達の前には必ず、
彼らを心から気遣って守ってやろうとする、ちゃんとした大人がいるのですよ。
これが大人の読者としては本当に救い。
スーパーマンのような大人ではないけれど、困難の節目ごとにたったひとりでもそんな大人がいてくれれば、
その力を何百倍にでもして、子どもは自らの足で生き続けていけるのだね。
こういう本たちに、子ども時代に出会えたら幸せだな、と。
キミらはどんな境遇にあっても、ちゃんと生き抜いていける力を持っているのだぞ、
という想いが込められている本だから。
だからもちろん児童書コーナーにこんなに沢山あるわけですが。
自分はふつーの家庭で別に虐待もなくのうのうと成長してこれたわけですが、
だからって学校でのイジメや横暴な教師やさまざまなコンプレックスと無縁で生きてきたわけではないので、
やはりこういう本たちから感じることはいっぱいあるのです。
いや本当に英米の児童書(ヤングアダルト向きも含む)面白いわー。
ファンタジーには必ず魔女が出てくるし。魔女がこんなに欧米の児童文学に不可欠だとは知らんかった。
というわけで、児童書コーナー読みつくす勢いでこれからも楽しませていただきます。
なぜ今日はこんな話題になったかというと、昨夜みた夢に、その笑顔が大好きな塚ちゃんが出てきたのよ。
どう見ても塚ちゃんなんだけど、息子の友人のMくんのようでもあり、
その塚ちゃんだかMくんだかわからん少年が
死力の限りを尽くしてがんばったけど、もう生きてく力がなくなっちゃった、みたいな状況になってて、
この少年を生きさせるためにはどうしたら! どうしたら! と必死に考えている、というトコで目がさめましてん。
みーはーな脳みその中にご登場いただいた人物は、相変わらず素敵なアイドルでしたが、
夢の中での自分の立場がわりと大人だったので、ちょっと大人の役割なんかを考えてしまったわけです。
塚ちゃん、滝翼ホールツアーもどうぞよろしくね。 ←その結論は大人じゃないかも
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