せらび
c'est la vie
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みぃ


2006年09月10日(日) 遠い祖国

ものすごーくご無沙汰。すいません。生きてます。ちょっとばたばたしていますが、なんとか日々をやり過ごしています。


時折Mixiには日記を書くのだけど、書ける事と書けない事がある。

あちらには友人や先輩など「明らかな顔見知り」が観に来るので、例えば今のワタシのどろどろとした精神状態について書いたりしたら、絶対心配しそうな旧知の心優しい人々数名、こんな公共の場で感情の垂れ流しかよ、可哀想がって貰いたいのかよ、自業自得なんじゃねぇのかと冷ややかな目を向けそうな比較的新しい知り合いの人々若干、というような次第で、思ったような事が書けないのである。

拠って、えんぴつさんに戻って来てしまった。読者の皆さんの殆どがワタシを知らないのだから当たり前だが、古巣は心地良い。

Mixiでは結局、当たり障りの無いお天気の話や、今日は何を食べたとか、そういう話題ばかりになってしまう。自分で読んでいて、まるで能天気な日々を送っている「あんぽんたん」のようではあるが、致し方無い。

実生活で顔を合わせる機会の多い同僚に日記を読まれるというのは、実はかなりのプレッシャーになっている。

例えばワタシの専門領域に関する一寸小難しい話題について、記事を引用して思う事を書いた日が何度かある。ワタシの「Mixi仲間そして同僚」の何人かは、恐らくワタシとは政治的思想的に別の立場を取っていそうな気配があったのだが、それでもコメントをくれるのを多少は期待をして書いたので、反応が無かったのに一寸がっかりした。

そういう時には、直接面識は無いが同じ業界人である別のMixi仲間だけが、コメントを残してくれた。

彼女も外国暮らしが長いそうで、寧ろ日本語の方が一寸覚束ない感があるくらいなのだが、それを読みながら、我が祖国は大変遠くなりにけり、と思ったりした。

前からそれは分かっていたのだ。

しかし此処へ来て、Mixiという媒体を通じてその比較的親しい関係にある同僚ら、しかし年に一度は日本に帰るし日本が大好きだと言って憚らない彼ら、従って外国に住んでいながら頭の中身はすっかりニホンジンであり、多分ニホンジン的要素を失わないように日々心がけていると思われる人々とのギャップを、切々と感じるようになって来た。

そうしたら、やはりお天気と食べものの事くらいしか書けないよなぁ、と寂しくなった。



あそこは、とても日本的な空間である。

勿論、非ニホンジンもいる。驚く程上手に日本語で日記を書いている。

しかし最近のワタシは、日本という国は、色々な意味で馴染むのに相当骨が折れる文化を持っているような気がして、逆に言うとなんだかとても排他的で、そうなるともう何年も日本に帰っていないワタシなどは本当に「浦島太郎」状態で、インターネットで得られる情報などホンの一部でしかないという事実を、遅ればせながら感じている今日この頃である。


そう思うひとつに、最近起こった個人的な問題がある。

実は日本から持って来ていたクレジットカードを、最近失効してしまったのである。

理由は簡単。実家の両親が何年か前、いつの間にか隣町に引越しをしたのだが、忙しさにかまけてワタシのクレジットカード会社に住所変更の届けを出しそびれた、というのである。それで期限が来たらそれきり、更新してくれない事になったようである。

この会社は、日本の住所しか受け付けない、というので、ワタシとしては甚だ不本意ながら、両親に銀行口座の管理などと一緒に一切をお願いせざるを得ない事態になっていた。いつか戻って来たら、使えるクレジットカードが一枚くらいあった方が良かろう、という算段である。

その「いつか」が一体何時になるのか、誰にもさっぱり見当もつかず、またワタシ自身も果たしてその気が殆ど無いという悲しい現実が暫く続き、ある時気づいたら、新たなカードが送られて来ないまま、数ヶ月経っていた。


ワタシは今回の一件によって、ワタシが日本で支払いなどに使っていた所謂「メインバンク」が他所の銀行と合併していて、それは一体なんという名前になったのか、此処へ来てようやく知る事になった。また、ワタシが口座を開いた地元の銀行支店は、どうやら現存しないらしい、という事も知った。

そういうのは本来なら、一時帰国や家族との日常的な連絡などで得られる情報なのだろうと思うのだが、そういう訳で小まめに連絡を取る程親しくない家族を持ち、だから尚更一時帰国の足も何年も遠のいてしまうようなワタシには、残念ながらこれまで一切知らされなかったという訳である。


その銀行のウェブサイトを観ると、どうやら「インターネット・バンキング」も出来るようになっているようである。しかしそれは何故か、国内在住者に限る、との事である。何の為のネットバンキングなのだか、と不甲斐無く思う。

一頻りそれらの情報を日本語で読みながら、ワタシは頭が混乱してくる。

小難しい日本語の表現が多い所為もあると思うのだが、きっとこれらは、日本で普通に暮らしている人々にとっては極当たり前の、簡単で分かり易いシステムなのだろう。

この十年、十五年という歳月が、なんだか取り返しがつかないくらい永く感じられる。失われたこの年月を取り戻すには、ワタシは日本で何年も何年も地道な社会人生活をして、色々の「常識」を身に付けるまでは駄目なのじゃないか、と呆然とする。

日本を「島国的・鎖国的文化」と呼んでいたワタシは、この頃の自分自身の対日鎖国的精神について、何とも言い知れぬ脅威を感じている。


そういう事は、やはり、顔見知りが読むようなところには書き難い。彼らの多くは、こんな風になってしまう前のワタシを、記憶に留めているのである。

では、ワタシは、一体何者になってしまったのだろう。

無国籍なノマドのような心持だけれど、現実のワタシには仮とはいえ住処がある。此処も長居し過ぎてしまって、もう四年を過ぎた。色んな事があったのに、ワタシは未だこの住み難い家で暮らしている。嫌だ嫌だと言いながら、未だ此処に居るのである。そう思うと、ワタシの人生がこの四年間、いやもっと前からだが、大して変化を見せない訳が、なんとなく分かるような気がしてくる。自分でも嫌気が差してくる。何をしているのだ、ワタシは。

生産的な活動をしていない訳では無いのだが、「以前のワタシ」が生み出していたものと比較したら、雲泥の差である。

以前のワタシ。

それは、ただ若いだけで、鼻っ柱が強くて、望むものは何でも手に入ると思っていたワタシ。三十代の新陳代謝がどれ程のものか、話に聞いてもさっぱり実感が沸かなかった頃のワタシ。ワタシには「老い」というものはやって来ないのだ、ワタシだけはいつまでも「何を食べても太らない」体質が与えられているのだ、と信じていた頃のワタシ。金も友達も男も、必要な時に必要なだけはあったから、それがワタシにはいつまでも続くのだ、人生はこのまま継続するのだ、と思っていた頃のワタシ。

その頃はちなみに「バブル」とも言うのだけれど、何しろ当時のワタシには特に不自由が無かった。

若さの終わり、なのか、または「バブル」の終わり、なのか、今のワタシには判別が付かない。ただ分かっているのは、今の暮らしが幸せでない、という事である。

とは言え、特に贅沢をしているのでは無い。国を出てから、「消費」を出来るだけ削って暮らして来たので、気が付いたらワタシは最新の映画も知らなければ流行の歌も知らないような、文化的にこれでいいのかと首を傾げたくなるくらいの、倹しい暮らし振りである。

本ばかり読んでいたけれど、そして今も本と書類の山に囲まれた机に向かってこれを書いているけれど、だからと言って研究が好きな秀才君みたいに、その事に歓びを見出している訳でも無いのである。

多分、ワタシは自分が使い物になる人間だという事を、もう一度感じたいのだと思う。空しい作業の繰り返しではなく、自分が心の底から良いと思う事をやり、人々がそれによって幸せになり、自分もまたそれで幸せになる。それが本来の生産的な暮らしだろうと思う。

「過去の栄光」を語りだしたら人間終わり、と思っていたけれど、自分にもそんな時がやって来るなんて、思いも寄らなかった。


明日は、ワタシをこの街に思い留まらせた、大きな契機となった事件の、記念日である。



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