せらび c'est la vie |目次|昨日|翌日|
みぃ
どどいつ選挙の集計結果を待ちながら、いつもの日記を書く。やはり大変な接戦になっている模様。 金曜には会合があった。 ワタシはこれまで、某団体の金勘定を担当しながら講演会などの企画・執行委員という幹部のひとりとして活動していたのだが、いよいよそこの金勘定だけではなく、議事最終決定権を持つ幹部に昇格する事になってしまった。何やら憂鬱である。 ワタシには所謂「権力欲」というのが、余り無い。 その昔には、それこそ「学級委員」だとか「なんとか委員長」だとかいうようなのもやったのだが、子供の頃に散々そういう所謂「リーダー」を任され過ぎたのか、大人になってからは進んでやろうという気が起こらない。それより、裏で何かを取り仕切ったり雑務を一切合切引き受けたりというような、表舞台に上がらないものの方が性に有っているように思う。 それに、そもそもこの肩書きの名前が気に入らない。 「総裁」若しくは「会長」 なんと偉そうな響きなのだろう。 ワタシは金勘定をする「会計」という肩書きの方が、余程気に入っていた。職務内容が大変分かり易いし、実務家という印象がある。 それにワタシは「金勘定」自体が、好きである(恐らく読者の皆さんもそうでしょう)。 何とかしてこの名前を変えて貰えないものか、と今代わりになるような上手い肩書き名を検討している。「議長」とか「委員長」とか、そういうので良い。まるでワタシがひとりで権限を行使するような印象のこの肩書きさえ何とかして貰えれば、ワタシは例え薄給でも快くお役目を引き受けようではないか。 しかしそんな物憂い肩書きを他所に、会議後の歓談では、幾人かの同僚らと大いに知的好奇心を刺激し合い、極めて建設的で意義の有る会話を楽しんだ。 ワタシはこういう事をずっとやりたかったのである。同業者ならではの共通理論認識を基にした建設的議論というのは、それぞれが元々持っている知識や力を一とすると、結果は三にも四にも五にもなる。 ワタシの居る業界でこれまでそれが間々ならなかったのは、同業者であっても信じるものが全く違う人々同士だからである。ある物事に対しての認識が、ワタシは「〇」であると思っているのに、相手は「△」とか「☐」だと思っている、というような事態である。話の出発点である大前提がこうも違ってしまっては、話は全く噛み合わない。 しかしこの日ワタシがあれやこれやの議論をした人々は、広い意味では同業だが直接的には別の業界の人々であった。しかしワタシが彼らとは別の業界に居ながら言わんとして来た彼是が、この人々には大変すんなりと受け入れられたようで、話が早かったし、だからどんどん話は進んで行ってあれもこれもに及んで行ったのである。まるで魔法に掛かったようである。 恐らくそこはワタシが道を誤った所為で、本来のワタシの「業界」は彼らのそれであるべきだったのだろうと思う。 またワタシが通じていない分野の説を幾つも紹介されて更なる可能性を見出したりなどして、だからワタシは大いに刺激を受け、全く清々しい心持ちで帰途に着いたのである。 嗚呼楽しかった。 こんな事なら、皆さんと一緒にご飯でも食べて帰る事にすれば良かったかしら、と後で思う。 まあ、お楽しみは後にも少し取っておかないと。人生、生き急いではいけない。 翌土曜には、海岸でゴミ拾いをするヴォランティア活動に出掛けた。 この日はどうやら、ワタシの住む街では「街ぐるみ」でそういう海岸清掃の催しが彼方此方で行われる事になっていたらしい。近所でもそんなのがあって様々の関連イベントも予定されていたが、ワタシはとある波乗り人の団体が主催したやつに少し遠くの海岸まで出掛けて行って、夏の名残を惜しむ事にしたのである。 そこは波乗り人の間では良く知られた海岸で、どうやら台風接近に伴う大波目当ての「丘サーファー」たちまでやって来て、夏の盛りを超えたというのに大変賑っていた。ワタシはこの街でこれ程の波乗り人を見かけようとは想像もしなかったので、驚いた。 ワタシたちは数人の組に分かれて、それぞれ何丁目から何丁目までの海岸のゴミ拾い担当、というような具合に活動をした。 ワタシの居た組での発見物には、煙草の吸殻にペットボトルの蓋や壊れたおもちゃなどのプラスチック製品が最も多かったが、一寸変わったところでは使用済みコンドーム(浜辺でセーフ・セックス万歳!?)、使用済みオムツ・生理用品(出物腫れ物処嫌わず)、布団(南から流れ着いたものか)、などなど。 しかし拾っても拾っても煙草の吸殻が幾らでも出て来るのには、閉口した。 喫煙者の皆さんは、タダでさえ我々の大気を汚染しているのだから、更に海まで汚すのは止して、灰皿を持参するか持ち帰る習慣を。 そうして海岸ゴミ拾い大会が終了し、ワタシたちヴォランティアはピザと飲み物を振舞われ、暫し歓談する。そのうち一緒の組で活動したある女性と連れ立って、近くのピザ屋まで便所を借りに行く。 道すがら、小さなサーフショップを発見する。 彼女が実は最近波乗りを始めたばかりで、レンタルボードの料金を知りたいと言うので一寸寄り道して、店主からあれやこれやと話を聞く。当然ながら店の親父も波乗り人であり、この界隈の波事情には精通しているので、ふたりして興味深く話を聞く。 実はその昔、ワタシはとある街でたまたま波乗り青年と知り合ったお陰で自分も波乗りを始める事になった、という経験がある。 しかし「一夏の恋」は瞬く間に終わりを告げ、そのうちワタシは大きな街に越して来たので折角の板やその他の小道具は置き場が無く、またワタシの暮らしも前代未聞の大忙し振りで、こうしてわざわざ郊外の浜辺まで出掛けてくる余裕が無く、結局ワタシは一切合財を他人にやってしまう。 もう十年近く前の出来事である。 そんな話を彼女にしながら、例えば初心者に取っての「波乗り」というのは実際99パーセントの「パドリング」と1パーセントの「波乗り」であるとか、上半身の筋肉が少ないワタシのような者には「波乗り」(つまりパドリングとテイク・オフの為に上体を起す作業)は大変な大仕事であったとか、腹が真っ赤に「板焼け」するからビキニではやらない方が良いだとかいった、ほんの少しのワタシの波乗り知識でもって彼女と彼是お喋りをする。 そのうちヴォランティア活動は終了したが、その「初心者波乗り女性」と友人の「一寸小太り君」が、主催者の波乗り人団体リーダー氏と一緒に、もう少し北上したところで開催中の波乗り競技会観戦及びそこで働いている仲間たちと合流する、と言うので、ワタシも序でだから一緒に行く事にする。 行ってみたら競技は既に終了していたが、ワタシとその女性はその競技の開催主旨である、背骨を傷めた所為で車椅子生活を強いられている人々にも波乗りの機会を与えよう、というのの説明文や波乗り人団体の活動内容などを書いた書類を読んだりして、それらの人々とも歓談する。 少し話をしてみたら、例の波乗り人団体のリーダー氏は、大変羨ましい人物であった。 こういう学位を取ってこういう経歴があったら、ワタシのこれから進んで行こうとしている道には最適なのに、ワタシに今それが無いのはなんと残念な事だろう、とワタシが日頃悔やんでいるものを、この人は全て持っていた。 ワタシは少しショックを受けて、本来ならこういう人とは名刺交換などして自分を売り込んでおくべきなのに、「そういえば波乗り人のケリー・スレイターとワタシは誕生日が一緒なので、まるで双子の兄妹なのですよ」などと話題を変えてしまった。 折角チャンスが舞い込んで来ても、それを活かし切れなければ無意味である。星回りも良かったのに。多分これがそのチャンスだったろうに。 とりあえず貰って来た書類に目を通して、今度街中であるという地域集会に顔を出すのが精々だろう。不甲斐無い自分に、嫌気が差す。 それから、競技は終わったもののまだ波乗り人は沖に出ていたので、それらを眺めたりなどして過ごす。 「一寸小太り君」が自分も波乗りをしに行く、と言って着替えてやって来る。 ワタシはあんなに腹の出た波乗り人を初めて見た、と彼女にこっそり告げる。 ワタシの知っている波乗り人は大抵全体に細く締まっていて、無駄な贅肉が一切無い。何かの間違いだろうかと思ったが、彼もやはり最近波乗りを始めた初心者だと言う。 まあ良い。母なる海は太っ腹である。誰もを受け入れてくれるのに違いない。 「一寸小太り君」が 「一寸小太り君」が漸く海から上がって来た頃には、辺りはすっかり風が強まって寒くなっていた。ビールを一杯飲みに行こうという話になる。 彼女の車の中で、この「一寸小太り君」について話す。 車で三時間程離れたところに住んでいる彼女の恋人はこいつの事が余り好きでないので、こうして彼女が彼の居ないところで一緒に遊んでいるのを快く思わない、という事や、「一寸小太り君」は学位もあるし政府機関で働いているしまた彼方此方を旅した経験があるので、自分は世界中の事を何でも知っていると思っているしまたそういう態度をするので、多くの人々は第一印象が良くない、という事などを聞く。 ワタシも彼は頭もそれなりに良さそうだけれども一寸鼻高々な様子だし、その割りにやる事がダサかったりして、何だか奇妙だと思ったと話す。 バアに着いて三人して他愛も無い話をしているうち、彼もシングルである事が分かる。そしてそれは何故だろうという話になって、彼は自分には金が無いからだと思うと言う。 ワタシはそれは言い訳だと思ったので、仕事や課外活動を取り仕切ったりなどの他に、自分の為に時間を割いていますかと聞く。 彼は一ヶ月に一度くらいは何もしない休日を取る、と言うのだが、例えば定期的にエクササイズをするだとか趣味の何かに取り組んでいるだとかいったような、自分の英気を養う為の事柄が聞かれないので、ワタシは要するに彼は自分の世話に充分時間や神経を割いていないと判断する。 ワタシの周りの多くの男たちがそうである。 三十代になっても仕事やその他の「やらねばならない事」に余りに多くの時間を費やし、それを持ってして自分のアイデンティティを見出す。しかし彼らは「自分の為の事」、「自分にとって気持ちの良い事」、「自分を開放して、心を労わったり成長させたりする為の栄養を与える事」に充分なエネルギィを費やしていない。 だから彼らは決まって「不幸せ」である。そこそこの物質的豊かさはあるのに、それでは何か「足りない」のである。 心が生き生きとしていない男だから、当然女も寄って来ない。それなりの男たちではあるのだけれども、中身が詰まらないので、長期間一緒にいたいと思わせないのである。 そうこうしているうち、独身のまま四十代を迎える。彼らもそれなりに焦ってはいるのだが、しかし自分の現状は変えられないと思い込んでいるから、当分様子を見ようとか言って対策を後回しにする。 以前に何度も述べた例の「腐れ縁」または「悪霊」男も正にその一例だが、ワタシは最近こうした傾向の男たちを周囲で発見する機会が多くなって来るにつれ、いよいよこの街がやはりいけないのだろうかと思うようになる。この街は男たちを甘やかし過ぎる。 それに引き換え、この街の同世代の女性たちは、実に逞しくまた非常に魅力的である。ワタシは未だかつて、良い年をして独身だから「お気の毒」というような現地の女性に出会った事が無い。彼女らは着実に精神的成長を遂げ、様々の困難や挫折や周囲の意地悪な目を肥やしにして、内面の輝きを増している。 同世代の男たちがその輝きはセックスの所為だとか安易に言うけれども、そう言っている男たちはセックス以外に、または数回のディナー以外に、同世代の女たちに太刀打ち出来るような、与えられるようなものを持っていないのである。 いや、寧ろセックスすらも、それらの男たちでは用が足りない場合もまた多い。 …… 何だか「セックス・アンド・ザ・シティ」のキャリーみたいになって来てしまった。 そういう訳でワタシは、そろそろ次の「バイブレイター」でも購入しようかしらと思案中である。
|