私の毎日 The past diary

2005年04月26日(火) 飛んでる?

週末、風が強かったせいか 窓を拭くと雑巾がミドリに…。
あぁー お松ちゃん(花粉)飛び始めたのねぇー。
もうすぐ5月やもんなぁー。
早速、洗濯物は今日から部屋干し。

5月って GWもあって世間では楽しい時期 でも私はあまり好きではありません。
結婚して 海のある この町に住み始めたのが7年前の4月。
さぁ 新婚生活だぁ!と思った矢先に 目はカユカユ 鼻水ダラダラ
な なっ なんだコレは?と思って眼科へ行って判明したのが花粉症。
海のある町って松の木が多いのよねぇ。

アパート側にある 某○○(悲しい事に旦那の職場)を囲む大量の松の木。
チェンソー持って 全て切り落としてやりたいぐらい(爆)
そんなコトしたら 取り押さえられるだろうなぁ。
ヘルメット被って マスクして作業に励む自分を想像すると かなり笑える。

それ以来、俗に言う「木の芽時」が大嫌いな私。
GWも 出掛けるのを避けております。
それから数年後、長男を出産して2ヶ月後の その年の母の日。
忘れもしない 5月12日(日)
花粉症に加え 産後の疲れ&寝不足で肩がコリコリ おまけに情緒不安定。

母の日でプレゼントを持って旦那の実家へ。
他の兄達も来てて1日を過ごす。
今、思えば そういったストレスも溜まってたのかも?
自宅へ戻り 息子を寝かしつけ あまりの寝苦しさにソファーでボーッとしてると
あれれ? なんか苦しいぞ 手足もドンドン痺れてくる。
コレは ヤバイ?と旦那を呼ぶ。

みるみるうちに顔色が悪くなり 寒気に襲われる。
恐くて恐くて「救急車 呼んでくれー」と頼む。
かけつけた救急隊員に ビニール袋を渡される。(これは違法だけどと言われた記憶が…)
「コレで何すれば良いんですかー?」と不安でブルブル。

生後2ヶ月の息子が気になって またまたブルブル。
「○○ちゃん 連れてきてー!」と旦那に頼み
寝ている息子を抱いて旦那も乗り込み 救急車は出発。
車中でも「あのー私 どこか悪いのですか?」と何度も聞きまくる私。

病院に着き診察。過換気症候群と言われた。
「ちょっと眠りましょうか」と注射を打たれて その後 記憶なし。
安定剤で眠らされていたよう。
朝方、家へ戻る。

その日からの数ヶ月はホントに苦しかった。
一応、他に悪いところがないか後日調べてもらったけど別にナシ。
「私は どこも悪い所は無いんだ」と思い直し不安を消そうとするものの
夕方になると不安になるのだ。
不安になると息が苦しくなって脂汗が出てくる。
そんな時は息子を抱き 外を散歩。
すると少し気分が和らぐ。

幸い、父や兄 義両親が度々顔を出してくれたり
アパートの友人達が何かと気遣ってくれて毎日を過ごしていた。
それでも急にカーッと暑くなったりして 手足が痺れたり
自分で自分の体がわからない日々は続いた。
マッサージへ通ったりするものの体調は優れず
産婦人科へ相談へ行きプラセンタ療法を始めた。
同時に漢方薬も飲み始めた。

産後に 私のように不安や疲れから同じようになる女性は とても多いとか。
それを聞くと安心する私。
これを数ヶ月続け 冬を迎える頃には 何とかフツーの体に戻った。
それでも病院にもらった安定剤はお守りに持ち歩いてたなぁ。

今、思えば初めての出産、育児で頑張りすぎていたような気がする。
女の人って子供を持つと受け身になって 守らなければイケナイものを抱え
不安になったりする事って多いと思う。
私の場合、それが強かったのだろう。

この事があり 正直、娘の出産後も同じ症状が出たらどうしよう?と不安に思った。
前もって産婦人科へ相談し 自分でも体に良い事をしようと 香醋も飲み始めた。
それが良かったのかどうかはわからないが 娘の産後は体調を崩す事もなく過ごせた。
多分、二人目だったから私自身の気持ちも違ってたんだろう。

おっと かなり話が横道へ逸れてしまった。
香醋を飲み始めて1年。
今年は花粉症の症状が軽くなっていれば良いなぁ。<甘い?

               +

外遊びに目覚めた娘が 兄のバス送迎の度に散歩をせがむので
日に2回は ぼっちらぼっちら外で過ごしています。
今朝も兄を乗せたバスに手を振りまくった後、玄関と反対方向へ逃亡する娘。
今日は とっ捕まえて部屋の中へ連れ戻し お友達のお家へ。

いつものように お喋りを楽しむ中 子供達は二人揃って爆睡。
母達は 静かだねぇーと言いつつ お喋り。
まぁ、この子達は起きていても静かなんだけどねぇ。


 < 過去  INDEX  未来 >


ちぇる