書泉シランデの日記

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報道の責任
2006年05月09日(火)

子どもや引きこもりの問題は私の守備範囲ではないので、それほどの強い関心をもって報道に接しているわけではない。でも、先日、死者を出した名古屋の自立支援施設のことは、あらら、と思ってしまった。

だって、テレビで、しかも報道番組で見たことがあるんだもの。

ちょっと派手なうさんくさいおばさんやなあ、と思う人(代表)が親に説教たれながら、引きこもり青年を車で施設に連れて行くところなんかを見た。名古屋の施設だったし、おそらくその施設に間違いないと思う。

その施設の人権を無視したわけのわからん「矯正」はもちろん徹底的に批判されるべきだし、類似の怪しい施設は摘発されたらいいし、ていのいい子捨てをする親も非難されるべきだと思う。(すべての親が子捨てだとはいいません、念のため。)でも、それと同時に、報道の責任も問われるべきではないの?

報道=真実、と思う素朴な人たちもたくさんいる。オウムのときもそうだったけれど、取材の姿勢ってどこか甘くないか?いちいち検証に検証を重ねていたら、遅くなるというのもわからないでもないが、引きこもり自立支援施設なんていったら、わらにもすがる思いで飛びつく人がいるでしょうに。

今回、それがまさに「わら」でしかなかったってことよね。報道じゃ丸太か筏くらいの印象だったけど。

ついでに思い出したけれど、山崎えり子、だったっけ、節約生活術の本を書いた人。あの人もとんでもない経歴詐称で、節約生活の中身は嘘っこで、戸籍売買までしちゃったわけだが、おい!主○の友社!ほっかむりしていていいのかね?怪しい本はうちだけじゃないからいいってことか?ムダヅカイ組の私はあわや買いそうになったんだからさ!(買わなくてよかった・・・)

人の言葉を信じやすい素直な人をだますのは大罪だと思います。報道や出版物は丸ごと信じちゃいけなくて、参考までに目を通すくらいの気持ちでいないといけない世の中かもしれませんね。もしかして、それって教育が培う総合的な力かしら。なにしろ生まれる前には大本営発表なんてのもありましたからね。



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