これも通俗小説ぎりぎりの話だと思うのだけれど、なんか面白くて、結局ほとんどいっきに読んだ。トマス・ハーディーのTess of the D'Urbervilles である。 テスっていい娘ねえ、と思わないではいられない。「無慈悲な偶然」だの「運命の皮肉」だの「宿命」だの、はたまた「世界は盲目的な運命によって支配され」だの「不条理」だのと、表紙のキャッチはおどろおどろしいのだけれど、実際はずいぶん静かな話のように感じた。 不条理、かなあ? ま、こういうこともあるかもね、と受け止めてしまうのだけれど。 私は「運命を受けいれる強さ」みたいなものが好きなので、テスのことは好きだ。この女主人公に万事きっぱり拒む強さが欠けていても、ぐずぐずめそめそしていないで、働くところがいいなあと思う。不幸な子の洗礼の場面はとても感動的である。ああいうのが人間の強さではないか。 農場の場面、働く女たちの交歓も非常に魅力的に描かれる。 テスに男を見る目がないことはお気の毒であるが、悪い男と一緒に破滅する女がいるのだから、器量の小さい男をかいかぶったまま破滅する女がいても仕方ない。エンジェルって男は最後までつまらない。まだアレックのほうがいい。自己中、言い換えれば自己肯定的で、確かにこの世に生きている存在。対するエンジェルは妄想の人。これこそ閉鎖的自己中である。 この頃の小説って、子どもの書いたような話が多いし、ついつい手堅い世界の名作を読むほうに傾く。昔は自分も子どもだったから、名作は退屈でつまらない気がしたのに、年をとると加速度的に過去に近づいていくようだ。
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