| 2005年07月08日(金) |
「Radio days」 N.S.P. 2005.2.2 |
このアルバムは買ったときはものすごく気に入って、一度ここに感想も書いた。 どんなことを書いたのかは憶えてないけれど、(私は自分で書いたものを読み直す事はまずない)「水のせいだったんです」「北風が見ていた」「Radio days」「夏の日差しがいっぱい」「残像」が好きで何度も聴いていた。 一番好きな曲は「残像」と「北風が見ていた」だけど、ちょっと今までの曲の暗さとはまた違うタイプの暗さを感じてしまい、色んな経験を積んで再結成に辿り着き、絶望や希望を繰り返したんだなあと漠然と思っていた。 「夏の日差しがいっぱい」もタイトルとはうらはらに、なんでこんなこと書くんだろうともの悲しく思った。
僕がここから消えても 君は探しつづけてね この僕を探しつづけてね すぐにいい思い出なんかにせずに
短すぎる僕の一日が
昔から薄暗く切ない詩が多かった。 しかし、ニューアルバムのこれらの詩には悲しみが満ち溢れていて、 「天野節やなあ」とは思ったけど、なんてこんなにも暗いのかなあとも思っていた。
ファンへのラストメッセージだったんですね。天野君。 ただの1ファンなのにこんなにも悲しい。 いつまでも探しつづけるでしょう。
「北風が見ていた」
誰もがだまってた理由は 冬を待っていただけ 静かだった 死んでゆくように 風も見てた 風が見ていた
人は誰もがいつかは必ず死ぬ。 天野君がコンサートの最後で言っていたように、「どれだけ生きるかじゃなくて、どう生きたかが大事だと思う。一日、一日を大切に。」という一言を改めて思い出した。
最後の最後まで、命を惜しまずファンのためにたくさんの作品を残してくれて本当にありがとう。天野君。 ずっとずっと探しつづけます。
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