久々にイノセンスを観た。 人間の作り出した物が人類の敵となる映画はよくある。 私はそういった映画はあまり好きではないのですが、絵の美麗さと音楽に惹かれて買って、たまに観ています。 人間と機械の共存の映画ならば良いけれど、機械を「悪」とする物は嫌い。 機械が悪ならば、それを作り出した人間こそが悪の根源なのだから、作り出された機械には罪は無いだろう。 例え人工知能を植え付けられ、己の意思で動く機械であっても、それは「人工」の域を出はしない。 機械が自分の意思で人間を敵としても、それは人間が人間を敵と思う故だろう。
さて、話をイノセンスに戻して…。 人形に命を吹き込むという行為。 自分の体を機械化する行為。 現代の科学者、技術者が目差そうとしている場所。 自然の摂理から外れた禁術。
人間は生身の限界がある故に高みを目指し、人形は動かぬ故の美しさがある。 己のコピーを作ろうとも、それは違う環境に育つ事により完全なるコピーになる事は無く、ただ姿形の似た別人でしかない。 それは一卵性の双子と同じである。 不完全である人間の手が加わる以上、全てが同じである物は産まれる事は無い。 量産される機械であれ、外見は同じように見えても中身は多少の異なりが、人間の手が行う作業により生じ、完全に同じでは無い。 自然の長い進化の中で偶然生まれた人間という不完全な生命体が完全なものを作り出すことなど、できはしないのではないだろうか? 自然の中で進化を繰り返して人間ができたように、人間の作り出す物もまた、人間の手の中で進化を繰り返し今の姿にあり、これからも進化を続けていくのだろうが、それは所詮は人間の手の中での進化。 人間が自然の中で進化とも退化ともわからない変化を続けているように、進化は独り歩きをしたりはしない。
人形は昔から、呪いの道具であり、災いを避ける為の身代わりであった。 そこから進化した人形は愛玩具となり、様々な形になって現在にいたる。
人形に魂が宿る、魂を吹き込む…そんな言葉を否定はしません。 私もドールオーナーで、しかも表情があると思うし、脳内会話をしたりとかもしているので(痛) 人形はオーナーとなる人の手に渡って、名前を与えられ、初めて魂、人格が宿ると思うのです。 それはオーナーの想いの断片。 表情はオーナーのその時々の刹那の心情。
例えば人形を「怖い」「不気味」と思う人が人形を見ればその姿は不気味なものになり、「可愛い」「綺麗」と思う人が見れば愛らしいものになるように、人形は見た人の心をそのまま移すのです。
…なんだか纏まりが無くなってきましたね…(汗) とにかく、もしロボットが人間そのままの形、動き、知能を持ったとして、敵になることはないし、結局は機械なのです。 そこを忘れないで…。
所詮、人間は神にはなれない。
|