林心平の自宅出産日記

2005年01月16日(日) 冬山の一夜 (後編)

 タクシーでたどり着いたぼくたちを、主宰者が迎えてくれました。
「皆さん、まだ、ついていなくて、集まったらここからヒュッテまで遊びながら歩いていくんですよ。先に行かれてもいいですが」
なんと、ぼくは勝手に道の脇にヒュッテがあるのかと思っていたのですが、まだ、ここから歩くのだということでした。まずは子どもたちを休ませてあげなくてはと思い、先に行かせてもらうことにしました。
 
 雪をかきわけて重い荷物を持ちざぶざぶと歩いていきました。子どもたちも何とかついてきます。20分ほど歩くと、ヒュッテにつきました。
 主催者もまだ、着いたばかりのようで、これから火をおこすところでした。すっかり冷えた体を温めてあげることもできなかったのですが、持参したお湯で、インスタントのスープなどを作ってあげました。昼食用にと思って昨晩焼いてきたあんぱんを、こどもたちは2つも平らげました。まだ、10時をまわったばかりだというのに、消耗していたのでしょう。
 台所の火のそばで少しでも暖をとろうとしましたが、なかなか温まりませんでした。このままではいけないと思い、外に出ることにしました。天気はよかったので、日の光の下のほうが暖かそうに思えたのです。身支度をして外に出ると、室内よりはいくらかすごしやすかったのですが、それでもじっとしていると寒いので、もときた道を歩いていると、すぐに他の参加者の一団がやってきました。

 主催者が豚汁を作ってくれたので、それぞれがもちよった昼食を、暖まりはじめたヒュッテの中で食べました。もう、あんぱんはそんなに残っていなかったので、豚汁はありがたくいただきました。
 ぷーちゃんは「足の親指が痛い」と言いました。靴下を脱がせると足先が冷えていたので、ぼくのおなかに足をつけて温めてあげました。今思うと、このときに、お湯をわかすなどしてもっと、しっかり温めてあげればよかったのです。
 主催者の話からわかったのですが、昨年から毎月、このヒュッテに来て、子どもたちを遊ばせており、何回か参加している常連が多いようでした。
 昼食後は、おまちかねの雪遊び。子どもたちはすっかり元気になって、巨大なそりですべり、倒木の上に登り、雪のトンネルを掘り、めいっぱい遊びだしました。スタッフには、若者も何人もいて、体当たりでたくさん遊んでいました。ぼくも、そりに乗ったり、トンネルをくぐったりしました。
 子どもたちも、自由の天地の中で、底抜けの笑顔とともに何の屈託もなく遊んでいました。

2時間半ほどたつと、もちつきがはじまりました。そのときに気づいたのですが、他の子どもたちはヒュッテの中で休んでいました。もちつきをやるというので、外に出てきたのです。
ぼくは、まーちゃんとヒュッテに入って休むことにしました。ぷーちゃんは「まだ、遊ぶ」と言うので外で遊ばせておくことにしました。
そのまま、ぷーちゃんは外でもちつきに参加し、それをまーちゃんは窓から眺めていました。
もちつきが一段落した頃、ぷーちゃんが戻ってきました。
「足が痛い」と涙を流しながら言っていました。ぼくは、大変驚いて、ストーブのそばにぷーちゃんを連れて行きました。スタッフや他の参加者も集まってきてくれました。とても幸いなことに、参加者の中に看護婦をしているという方がいて、
「うちの子もなったことがあるけど、遊びすぎて冷えたのだと思います。ゆっくり温めましょう」と言って、お湯を持ってくるように指示し、ぷーちゃんの指を温めはじめました。
 ぼくは、泣きじゃくるぷーちゃんを見て、すっかりおろおろしてしまいましたが、主催者の方と看護婦さんがつきっきりで看護してくれました。30分ほどもそうしていたでしょうか。カイロなども使って、だいぶ温まってきたと言うので、地下の、もう1つ薪ストーブがある部屋に行きました。そこでは、別の団体が「なだれ講習会」をおこなっている最中だったのですが、一番暖かい場所を空けてくれました。そこに、冬用のシュラフを置いて、足を靴下とカイロでくるんで寝かせました。
 そして、「なだれ講習会」は明日の朝に再開するということにしてくれました。
 ぷーちゃんは横になると、すぐに寝入ってしまいました。それまで心配してそばにいたまーちゃんも少し安心したようで、行ったり来たり、遊び始めました。退屈そうにしていたので、スタッフの方が遊びに連れて行ってくれました。
 やっと一息つけたので、妻に電話をかけました。ぼくは、このまま寝かせておいたほうがいいかなと思いましたが、妻は、「夜中に眼が覚めてもかわいそうだし、起こして夕食を食べさせたほうがいいと思う」と言いました。しばらく、そばにいると、じきにぷーちゃんは目を覚ましました。
 階上では、子どもたちのピザ作りが始まっており、参加したいというので連れて行くと、もう、かなり回復していました。ぼくとまーちゃんにピザを作ってくれ、食後は子供たち全員での「はないちもんめ」にも積極的に参加していました。
 「よくなってよかったですね。心配したでしょう」と口々に言われました。そのとおりでした。

 翌朝は、まだまだやる気だった子どもたちでしたが、控えめに遊ぶことにし、一番に下山しました。
 バス停まで送っていただき、バスと電車を乗り継いで帰宅すると、心配していた妻がほっとした様子で迎えてくれました。
 子どもたちは「また行きたい」と言っています。
 ぼくは、適当なところで休ませることも親のつとめだということを、身にしみて知らされました。未熟な親でした。
 でも、元気になって、ほんとうによかった。


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