そよ風


2006年09月21日(木) 高齢者と看護士

大空を駆けるぺガニャン

ちょっと苦しい。それに背中の白い羽、小さ過ぎてお粗末です。



病院内で、患者に医療器具の取り扱い方を説明するのは、
たしかに、とても気を使うことなのだろう。
特に、患者が高齢の場合、理解力や記憶力などが
どこまで確かなのか、外見だけでは判断し難いと思う。

舅が医師から、毎日血糖値を自己測定するように言われた。
長年、インシュリン注射を自分で行っていた舅であるが
血糖値の自己測定は初めてになる。

そこで、自己測定方法を看護婦さんから教わることになった。
義父母と嫁の私、三人で教わったのだが・・・

ハッキリ言って、非常にイライラしてしまった。
高齢の患者にではない。説明する看護婦さんにだ!!

「ええっ?? できるの?? 大丈夫? 大変よー」と
説明する前から、ひたすら、難しいことを強調する看護婦さん。
教えることに、気乗りのしない様子がありあり。
ともに80代の高齢者夫婦だから?

その態度に気圧されてしまった舅、 説明を聞く前から
「ワシ、でけへん。 無理や。もう歳やし・・、無理や、そんな難しいこと」
と拒絶反応を示す。

ワンステップごとに、説明もそこそこに
「できる??」「できます??」「大丈夫ぅ?」を繰り返す看護婦さん。
「これ、むつかしいですからねえ。ほんとうに大丈夫ぅ?」

時間がもったいないと感じてしまうほど、
無駄な言葉で時間が埋め尽くされていく。

しかも肝心の説明はいつも言葉不足、模範操作もいい加減だ。
もっと二人によく見えるように、よく解るように、
ゆっくり、きっちり、説明できないものだろうか。

すべての操作段階で、いちいち、私から二人に説明し直さなければならない。

「おかあさん、ネジはここ。ここを普通に回したら開くよ」
「あっ、ここがネジかー」と姑は簡単に回してあける。

「おかあさん、ここに針を差し込んでね。
そうそう、それからキャップを引っ張って取る」

少しでも失敗すると、すかさず看護婦は
「ほら・・・大丈夫ぅ?? 出来ますぅ?? 」

ーああ、また始まった・・・

「だれか、近所で看護婦さんみたいな人、いないんですかぁ?
ちゃんと看護婦さんに訪問して見てもらわないとねえ!」と看護婦。

「大丈夫です。できます。おかあさんはすぐに慣れます。」

毎日、朝夕二回、それぞれ決められた単位のインシュリンを
舅に注射している姑、
二人とも、注射針の扱い方、消毒の仕方、ほんとうは慣れている筈なのに。
けれどコチコチに緊張してしまっていて、スムーズに行かない。

「むつかしくないよ、気楽にねー」とか、言ってあげて欲しいのだが・・・

しかもこの看護婦さん、全然テキパキしていない。

「むつかしいでしょう。大変でしょう。毎日よぉ、できるぅ?」
そんなことばかり仰って、次の操作に、なかなか進んでくれない。
時間がもったいない・・・

「できます! 大丈夫です! おかあさんはできます!!」と
私は、その度に何度も言い切った。
(はやく、次を教えてよ!!)と心の中で叫びながら。

けっきょく、最後まで教えてもらうのに、一時間もかかった。

みんなクタクタになった。

車の中で姑は言った。

「看護婦さんの説明、全然解らんかったけど、あんたの説明聞いて解ったわ」 
帰宅してから、練習用に多めにもらった注射針と測定用部品を使って
自分達の血糖値を測定してみた。

「簡単やなあー なんで、あんなに解りにくかったんやろ」と姑。
「説明の仕方、下手やったねえ。器具を貸し出すのがイヤやったんかな」
そんな言葉が出てしまう。

二人暮しの高齢者だからと、看護婦さんなりに非常に心配してくれたのか。

しかし、素人考えかも知れないが、注射針で微量出血させて、
その血糖値を測定するという行為、
体内にインシュリンを入れるインシュリン注射に比べると
危険度は、かなり低いと思う。
仮に失敗して測定できなかったとしても、大した危険はない。

それから実家を出て、我が家に到着したのは夜の九時だった。
正直言って、3パーセントくらいの心配はあった。
私が付いてなくても、ほんとうに測定できるかな?

翌朝、姑から電話がかかってきた。

「おじいちゃんの血糖値、ちゃんと測ったでー。128やったわ。
 これからインシュリン注射して、朝ご飯や」


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