めめんと森
DiaryINDEXpastwill


2014年03月09日(日) 雑草

 庭には前の住人が残していった庭石と煉瓦があった。

 煉瓦は2m四方くらいのスペースに敷いてあったのだが、目地をコンクリートで埋めるでもなく、あちこちガタガタで見るからに素人の仕事だったうえに、苔むして庭全体を暗くしていた。先週、この煉瓦を夫と全部剥がしてしまった。

 庭石は、小は手のひらサイズから大は直径30センチほどのものまで、伐採した木の周りをぐるりと囲っていたものが30個ほど。ゴミには出せないというので処理業者に見積もりを頼んだら煉瓦はともかく自然石は引き取れないと言われた。その煉瓦だけでも見積もりを取ったら処理代金は予想以上に高くて、縁台の下に置いてみたら全部収まるのでもう暫くそのままにすることにした。

 そうして庭がやっとスッキリしたので、残された雑草をせっせと抜いていた。今の季節、草むしりは楽しい。夏場と違って天気のいい日に外に居る時間が長くなっても気持ちがいいばかりでダメージはない。草抜き用のコテを使ってブツブツと根から抜いていく。小さなカタバミやオオバコの、以外に長い根。タンポポの太くて強い根。

 無心になってやっているようだが、頭の中は常に雑念でいっぱいだ。雑草でも花が咲いていると抜くのをほんの少し躊躇する。こんな小さな草にも花が咲くのだなぁと感心する。
雑草の花って可愛い。昔、ふとそんな事を言ったら、聞いていた人が
「ガブさんは、感受性の豊かなひとだね」
 と言った事があるのを思い出す。

 褒められたんだろうと思うが、感受性が豊かであるというのはそもそもどういう事なんだろう。雑草は小さくて、その花も当然小さくて、以外に可憐で可愛いと思った。ただそれだけの呟きを拾って、私という人間の感受性を測れるのだろうか。どんな感動的な映画やドラマや小説を見ても、人との別れの場面でも、涙ひとつ流さない私の。

 息子には、診断名がつくかつかないかくらいの発達障害傾向があって、知的な遅れもない、言語の遅れもないどころか、ある条件では人一倍喋る子で、幼児の頃にはそれは好ましい事と見做されていたので困ることはあまりなかった。学校で集団生活を送る今は、時にそれが原因でトラブルを起こす事があるのだが。
幼児の頃の息子はむしろ、拘りの強さと癇癪でものすごく扱いにくい子だった。私が自閉症やアスペルガー症候群を疑って発達相談に行ったのも、拘りと癇癪でヘトヘトになってしまったからだった。

 特に強かったのが順番拘りで、お風呂は自分が先で妹は後、風邪を引いたなどの理由で前後すると手が付けられないくらい泣き喚いて拒絶した。保育園から帰る時に通る道も、説明なしに変更するとパニックを起こしてそっくり返って家に帰っても暫く号泣した。対応に疲れ果てたし、この子はちょっと普通じゃないのかも知れないと思って担任保育士にこぼしたところ、

 「K君は感受性が豊かなだけですよ。お母さんもお仕事大変だしお疲れでしょうけど、あまり神経質にならずに、ドーンと構えたらどうですか。幼児期の基本は受容と共感ですからね」

 と言われた。

 感受性豊かだから変化に弱いのだろうか。急な順番の変更にもパニックを起こさない子は感受性が鈍いからなのか?息子が癇癪を起すのは私が神経質だからなのだろうか。保育士の言葉に半ば感心しながらもモヤモヤとしたものが胸を去らなかった。感受性という言葉は、もしかしたら理解不能だったりどうにも出来ない困った人の行動をボカして表現するために使われる便利なフレーズなのではないかと思えてしまう。何より、息子本人はパニックを起こしている間、物凄く困っている訳だ。感受性で片付けてしまっていいものかわからない。

 雑草を抜きつつ雑念に囚われてここまで考えて、いや、やっぱり感受性という言葉は刺激に対する弱さをも含んでいるのかもしれない・・・などとも思った。でも、サラっと流すべき事でパニックを起こすような特性も、感受性と言ってしまえばなんかいいイメージになる。お蔭で息子の発達についての診断を仰ぐタイミングが、就学以後にズレこんでしまった。

 私たちは雑草のようなもので、珍重がられるでもなく、勝手に生えてきて根を張って、物陰で生きている。ただし私も息子も雑草みたいに強くはない。人との関係でまずい立ち回りの末にズタボロに傷ついたり傷つけたりしてしまう。自分が自分のままで居てはいけなといつも思っている。せめてタンポポみたいに、咲くときは人目を引き、沢山種を飛ばして派手に散りたい。


ガブリえる |MAILHomePage