Rocking, Reading, Screaming Bunny
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Far more shocking than anything I ever knew. How about you?


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*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
*(vo)=ボーカル、(g)=ギター、(b)=ベース、(drs)=ドラム、(key)=キーボード。
*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)

*皆さま、ワタクシはScreaming Bunnyを廃業します。
 9年続いたサイトの母体は消しました。この日記はサーバーと永久契約しているので残しますが、読むに足らない内容はいくらか削除しました。


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2007年01月18日(木)  Tender timing

火曜の夜にsKamさんからラモーンズの音源が届いた。私がくださいと言ったのだが。
何と、506曲! ダウンロードするだけで8時間かかった。506曲って、一曲5分として2,530分・・・あ、いや、ラモーンズだから1,000分くらいかなw
今朝はそれを聴いてみる。ラモーンズはある程度聴いてはいたが、ジョーイ・ラモーンのソロを聴くのは初めて・・・ではなく3年7ヶ月ぶりの二度目。(日記にそう書いてある) 'What A Wonderful World'のカヴァー、何てひねりのないw 素直で可愛らしいほどだ。けれどしっかりとラモーンズ・サウンド。
そのまま、年代順に一気に112曲聴いてみた。ブートライヴもあるので、同じ曲が何度もかかるし、そもそも曲が短いからころころ変わる。ちなみに'It's Alive'の曲を頭だしすると、後半の殆どの初めは「フォッ」だ。「1、2、3、4」の「4」というわけ。カウントの途中で曲を区切るからそうなるのだ。ビートルズのアメリカ版のデビュー・アルバムは、一曲目の'I Saw Her Standing There'の出だしのカウントが「4」から入っていたらしいが。それと同じね?w
しかし112曲も聴いたら吐気がするかと思いきや。何故か飲まず食わずだったので腹が減った、という程度の疲れ方だった。本当に素直なサウンドなんだろうなあ。

火曜の朝から寝ていないけど。強烈なまでに眠りたくない。動けないくらいの状態なのに寝るのを嫌がる自分を見て、これはもしやもう一種の「不眠症」と言えるんじゃないかと思ったら、悲しくなってきた。

そんな時に、自覚なしに失礼な発言をする子供じみた大人がいたり。おかげで一瞬パニックを起こした。けれどそのせいでダメージを被るのは納得いかないので、その怒りを利用してぐっと堪える。
かと思えば、夕べ腹をたてた原因であるNobuは、案の定私が怒ったことすら気づいていず、今日の私の状態をあどけなく心配していたりする。

久々にかなり鬱々とする。久々に、お馴染みの「私、誰にも愛されていないわ。死んだ方がいいんだわ」まで突っ走る。
そしたらbay city rollersさんから、まずはbbsにかぐや姫の「アビーロードの街」のYouTube映像、次いでmp3がメールで届いた。───私が少し前に、欲しいとbbsに書いておいたのだ。
何て素晴らしいタイミング。
「お見舞い」みたい、と感激する。そしてmp3を聴いた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・じーーーーーーーん。
ちゃんと聴くの、どのくらいぶりだろう。懐かしいなあ。

私は、後から思えばすごくませた子供で。10歳そこそこで毎日のように喫茶店に入りびたって(親戚が経営しているところが二軒あった)、高校生や大学生のバンドマンたちに混じって遊んでいた。(時々議論とか吹っかけていたらしく、20代の時に小学生である私に言い負かされた人の証言とかがあるw) 薄暗いオレンジの光の中で、アイスティー飲みつつ、音楽を聴いていた。その頃に覚えた曲のひとつが「アビーロードの街」なのだ。

日本の'70年代四畳半フォークが、アメリカのフォークとは完全に別物であることは、子供の頃から何となく見当がついていた。私は3歳でS&Gを聴き始めたので、思えばフォークロックから入ったのだが、アメリカのフォークにはドライな明るさがあるのに対し、日本の「フォーク」は女々しくひ弱でウェットで、徹底的なモラトリアムだった。それに対する嫌悪を微かに感じながらも、そこにあえて浸る快感もあった。では日本のフォークの作り手たちに自覚はあるのか?───私はあると思った。あればこそ、いっそう始末におえなく、いっそうムダになる。
「文学は飢えた子供を救えるか?」という問いに対する私の答えは、「文学は飢えた子供を救わなくていい」なのだ。全ての芸術は文明の滓であり、だから芸術はどんな現実にも侵されずに独りで立っている。

───しかし思えば私のヘタレ男好きって、ここらで形成されてたりしてね?

間隔をおいて、何度も「アビーロードの街」を聴いた。鬱の原因は何ひとつ解決しないままだが、もう大丈夫だ。
朝10時に、ようやく倒れるように眠りにつく。

Tender timing (いたわりのあるタイミング)  *Going for The One / Yes (1977) の歌詞。



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