a short piece

2004年12月04日(土) vanilla【28】

なんか微妙にウルサイな…

埋もれた布団の隙間から手を伸ばし、携帯をみる。
ディスプレイはデジタルで11時。
少し寝すぎた土曜日の朝だった。
40%起きかけの頭に、甘く霞む香りが部屋の中を漂っている。
なんの香りだったろう。
いろいろな記憶が散らばって眠たい額の上を行き来する。
普段はあまり感じることのない空腹感とか。
満たされる感触とか。
いろいろな感覚が眠たいままの頭の中を過ぎってウルサイ。
ああもうすごく誰かに似てる。そんな感じ。
いや、違う違う。そんなことよりも。
なんだろう、匂いは。
そして耳につく、この音。
カシャカシャと金属の掠る音が響いている。
諦めて布団からでる。
ベッドからはみ出していた足先だけが少しひんやりとする。
リネンの寝間着じゃもう寒いかもしれない。
貰いもののチャコールグレーのパジャマにフリースを羽織ると、誘われるままに階下に降りてみる。
より濃密になる香り。
あまるほどに暖かい空気にふんわりと漂うバニラ。
その音のさきには、小さい掌でレトロな泡だて器をかしゃかしゃとかきまわす幼い妹がキッチンにいた。
母が開いてあげたのだろうケーキのレッスンブックをみながら、真剣な顔つきで生クリームを泡立てている。
テーブルの端には小さなバニラエッセンスの小瓶。
ああ、確かになれた香りだと納得する。
気だるいほど幸福な記憶を思い出させる。

「あ。おはよう、ヒロちゃん」

起きてきた私に気がついて、POM PONETTEのエプロンにいっぱいクリームを飛び散らした妹が笑う。

「おはよう。ミントちゃんの顔が真っ白になってますよ」
「だって押さえてるの難しいんだもん」

彼女の腕には余るだろう、大きなシルバーのボウルをいっぱいに抱えて精一杯、固定しようと努力しているらしい。
覗いてみれば、随分長いこと頑張ったらしく、温度で緩くなりつつも僅かにホイップがツノを立てていた。

「この匂いだったんですね」

以前、授業でつくったショートケーキを思い出す。
あのときはあっというまにツノがたったような記憶があるけれど、やはり子供の力では勝手が違うのだろう。

「ママがね、こうしてつんって白くちっちゃな山ができる位まで頑張りなさいっていってたの。もういいかなぁ?」
「いいんじゃないかな?確か授業で習った時にもこれくらいで平気でしたよ」
「ほんと?やった♪つっかれたぁ!」

すっかり温まったボウルを置いて、彼女は冷蔵庫から丸いロールケーキを出してくると、キティちゃんのイラストがついたナイフで慎重にロールをあぶなっかしく切り出した。

「なにをつくってるんですか?」
「サンタさんにあげるケーキの練習してるの。夜におなかがすいてたら食べてもらうの」
「練習ですか」
「うん。なんとかノエルっていうケーキなんだって」

ブッシュドノエルのことだろうか。
まだ幼い妹は、私がとうの昔に過ぎ去ってしまった赤と柊の夢の中で、愛らしく戯れているらしい。小さな、その瞳にはいっぱいの夢があふれている。
私にはとうに聞こえなくなってしまったクリスマスの、あのしゃんしゃんと揺れる鈴の音が彼女には聞こえているのだろう。
既に私の中でサンタクロースは白いお髭をつけながら玄関からそっと入ってくる、よく知った父の顔をしているけれど…。

私より遥かにさいさな妹が、切り分けたロールケーキに白いクリームをぎこちない手つきで塗っている。チョコレートを塗るよりは簡単に真っ白なクリームを惜しみなくいっぱいに塗りこめる。まるで夏休みの粘土工作と同じ手つきだ。

「チョコレートでコーティングしないんですか?」
「全部ぬるには足りないんだって。だからママが今、買いにいってるの」
「なるほど」
「あ、ここからヒロちゃんは見ちゃだめだよ」
「なんです?」
「いいの!あっちいってて」

なんてさびしい。
せっかく兄としての感傷に浸ってというのに。
傷心のまま、冷蔵庫からエビアンをとりだしてリビングに引き下がる。
持ってきていた携帯を見ると、サイレントにしていた携帯にはいつのまにか彼からのメールが入っていた。
みなとみらい線がなにかのイベントで、ひどく混んでいて約束した時間には少し遅れるらしい。
だから、土曜に出かけるなんてやめましょうといったのに。
ただをこねるから。
寝起きいっぱいの水を飲んで深呼吸する。
なんの疑いもなく幸福なクリスマスを待ち焦がれる妹の背中。
自然と視線が緩む。

「ほら!できたよ!ヒロちゃん」

感傷を壊すのが得意な子供が、どん!と私の前に、よりによってカレー用の皿にのせたケーキとフォークを置く。

「あ」

そこに置かれた2つのロールケーキには子供らしいデッサンでチョコや切り分けたフルーツなどで、ディフォルメされた人の顔が描かれていた。
ひとつはたぶん私。そしてもうひとつは…

「こっちが二オーくん!似てる?」
「え、ええ。似てますよ」

似てないといったら泣き出される。けれど十分それだと判るくらいに似ている。

「なんで…」

ケーキを置かれた皿の空いた空間いっぱいにわずかばかりのチョコレートでいっぱいにありきたりの文字が書かれていた。

「知ってたんですね」
「だってこの前遊びにきたとき、なんどもヒロちゃんに言ってたもん」

確かにそうですね。すみません。
くどい位にしがみついて私に、アピールしてた彼を子供心にがっちり記憶していたらしい。
白地の皿に、ぎりぎり読めるくらいの文字でいっぱいにhappy birthday。

「これは…すごい勢いでメッセージがはみ出しましたね」
「…だってケーキはお顔でいっぱいになっちゃったから文字書くところなくなっちゃったの」
「いえ、いいんですよ。初めてにしては大変上手に出来てます。これは彼に食べさせるのはもったいない…」

ふと思いついて、手にした携帯でケーキを写す。
それを添付して写メールしてやろう。メッセージは空白。
それだけで十分伝わるはずだから。
ディスプレイから紙飛行機が飛んでいくのを妹とふたりでみつめる。
いたずらそうな黒い瞳で携帯を覗く。
ほら、1分もしないでリターンが飛んでくる。
メールを開いてみる。そこには簡潔に2行だけ。

『すごいのぅ!thank you!今日はどっちも食わしてや』

高い声で笑う幼い顔には甘いクリームがついたままだ。
むせるようなバニラの香り。

「におーくん、2個とも食べたいって!ふとっちゃうよ」
「そうですよ」

手早く返信を打つと、フォークであとわずかでメールを受け取るだろう彼の顔近くを切り分けた。

「わーさきに食べちゃうの?」
「朝ごはんですよ」
「もうお昼だもん」
「いただきます」

ぱっくり頭からいただいてしまうと、きゃあああ〜と喜んでるのか、悲しんでるのか判らない声で妹が叫ぶ。
いいんです。
どうせ戻ってくる台詞なんて絶対確実にひとつだから。

「携帯光ってるよ」

空いた手で開封する。
ほら。
彼は絶対に間違えない。

『本物だけ頂けりゃもう充分です』


自然と視線が緩む。
テーブルから香るバニラ。
ほら、確かになれた香りだ。
気だるいほど幸福な記憶を思い出しながら、きれいにひとつの仁王くんを頂いてしまおう。
ありきたりの祈りをこめて。
私にとっては、いるかいないかもしれないサンタクロースなんかよりも、現実に落ちてきた有り得ない彼の存在のほうが不思議でならない。
けれど…こうして彼女が願うような24日の夜を迎えられる日々がこれからも少しでも長く続きますように。

君の幸せな夢を守れるように。
私の夢を守れるように。

happy birthday。





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